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1971 6TH QUARTZO LOTUS 72D E.FITTIPALDI
最後のGOLD LEAFカラー LOTUS 72D エマーソン・フィティバルディ 1971年エマーソンはロータス2年目 チームメイトはレイネ・ウィセルなど 前半2戦前年モデルLOTUS 72Cで連続リタイア R3モナコGPよりリアサス リアウイングを 手直ししたLOTUS 72Dを投入 モナコで5位入賞後 R5フランス R6イギリスで連続3位 R8オーストリア シーズンベストの2位 その後はR9イタリアGP ガスタービンエンジン車56Bを投入も失敗 結局優勝は無しのシーズン6位に終わる 翌1972年もロータスに残留 LOTUS 72Dの熟成が進み 初のチャンピオン獲得となる モデルはQUARTZO R6イギリスGP仕様 予選4位→決勝3位 1968年スポンサーの先駆けとなった インペリアル・タバコ社の GOLD LEAFカラーが終了となり 翌1972年より黒地に金色のJPSカラーとなる
241217 E.FITTIPALDI 1971 1FW12C
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1971 6TH SPARK (WORLD WIDE RACING) LOTUS 56B E.FITTIPALDI
ガスタービンエンジン 四輪駆動車 試験的出場エマーソン LOTUS 56B 1971年 R9イタリアGP ロータスのワークスが欠場したこのGP エマーソン・フィッティパルディは ワールド・ワイドレーシイング名で ガスタービンエンジン (プラット&ホィットニー) 四輪駆動車で試験的にエントリーした インディ500とF1の両方を走る 単一のデザインの計画の一環として開発 マシンはワールド・ワイド レーシングの ゴールドカラーが施された しかし燃料補給無しで完走するための 大型燃料タンクは重量過多で競争力なく 予選18位→決勝は周回遅れの8位完走 このマシンはレイネ・ウィセルや デイブ・ウォーカーが他のレースで またエマーソン自身もノンタイトル戦で 出場したが56Bのマシン合計6回の出走で 完走したのはイタリアGP時のわずか1回であった モデルはスパーク エマーソンのF1本戦での四輪駆動車 LOTUS 56Bの唯一の出場となった イタリアGP仕様 予選18位→決勝8位 スパーク初期のシルバースリーブ 2010年に日暮里にあった ミニカーショップIKEDAで購入
240320 E.FITTIPALDI 1971 5FW12C
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2021 15TH PMA WILLIAMS RACING MERCEDES FW43B G.RUSSEL
F1史上最短 1周だけのレース G・ラッセル WILLIAMS FW43B 2021年R12ベルギーGP このレースの冠スポンサーはROLEX 前戦R11ハンガリーGPでのW入賞で 勢いに乗るウイリアムズチーム ジョージ・ラッセルは予選で ウエットの中自身初のフロントロー獲得 決勝はスパ・ウエザーが更に強くなり 44周のレースを60分間のタイムレースに変更 レースはセーフティカー先導の中 3周目を走行中に赤旗でレース終了 〇先頭車両が2周以上完了してレースは成立 〇赤旗が提示された2周前の周回を完了した 時点でレースが決定する為 3周目走行の2周前の1周目終了の順位となり F1史上最短 1周だけのレースとなった ポイントはレースの75%終了していないため 2009年R2マレーシアGP以来の 史上6度目となるハーフポイント (2009年の前は1991年R16オーストラリアGP) ラッセルは自身初の2位表彰台 ウイリアムズとしては 2017年L・ストロール以来83戦ぶりの表彰台 2014年F・マッサ以来131戦ぶりの2位となった モデルはミニチャンプス R12ベルギーGP 予選2位→決勝2位 レインタイヤ仕様 近年発売としては多めの限定1.248台 前年度にチームが売却された事もあり マシンは前年度モデルの改良FW43B 経緯は違うが前年のマシンを改良 Bスペックとして使用するのは 1992年 ナイジェル・マンセルが チャンピオンとなったFW14B以来
240213 G.RUSSELL 2021 1.248FW12C
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1969 8TH SPARK (FRANK WILLIAMS) BRABHAM BT26A P.COURAGE
フランク・ウイリアムズRC デビューマシン ピアス・カレッジ BRABHAM BT26A 9回のコンストラクターチャンピオン ウイリアムズF1の前身のチーム フランク・ウイリアムズ レーシングの デビューマシン ブラバムからマシンを購入 1969年シーズンに1台体制で参戦 ドライバ―はフランク・ウイリアムズの 同居人でもあったピアス・カレッジ イギリス出身 F1 3シーズン目 デビュー2戦目となる R3モナコGPで 予選9位から決勝は2位表彰台獲得 その後R10アメリカGPでも2位 年間4度の入賞で16P 年間順位は8位 初年度としては成功のシーズンであった ピアス・カレッジは生涯最高位2位の ドライバ―の1人でもある モデルはスパーク フランク・ウイリアムズのデビューとなった R2スペインGP仕様 予選11位→決勝リタイア フロント・リアに大型のウイングを 装着した仕様になっている
231109 P.COURAGE 1969 11FW12C
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1973 7TH SPARK BRABHAM BT42 C.REUTEMANN
カルロス・ロイテマン 初表彰台 奇才ゴードン・マレー作 BRABHAM BT42 1973年前年度初戦PPでデビューの カルロス・ロイテマンはブラバム残留 チームはグラハム・ヒルが抜けて ロイテマンが中心となり エマーソン兄 ウイルソン・フィッテパルディが加入 R4スペインGPよりニューマシンBT42投入 後に5度のチャンピオンマシンをデザインした ゴードン・マレーのデビュー作 R7スウェーデンGPで4位入賞すると R8フランスGPで自身初の3位表彰台 ロイテマンの生涯表彰台は45回(出走145回) R9イギリスGP6位で3戦連続入賞 終盤にも4位・6位と2度目の表彰台3位 年間6度の入賞16ポイントで7位 翌1974年もブラバム残留で初勝利をあげる モデルはSPARK 2度目の3位表彰台となった 最終R15アメリカGP ワトキンズ グレン 予選ではシーズンベストの フロントローを獲得している
230912 C.REUTEMANN 1973 10FW12C
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1998 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 G.FISICHELLA
ベネトン移籍ジャンカルロ・フィジケラ 自身初のPP獲得 BENETTON B198 1998年フィジケラはベネトンに移籍 チームメイトはアレクサンダー・ブルツ フィジケラはベネトンの名称が無くなる 2001年まで同チームに所属する ベネトンは開幕直前にタイヤを グッドイヤー→ブリヂストンに変更 これが功を奏した事もあり序盤は好調 フィジケラはR6モナコ・R7カナダと 2戦連続で2位表彰台を獲得 R10オーストリアでは雨の予選の中 自身初のポール・ポジション獲得 フィジケラの通算PPは4回 しかし決勝は無念のリタイア GY勢の巻き返しもあり後半は苦戦 最終戦でジョーダンに逆転されて コンストラクターは5位に転落 ベネトンのコンストラクターTOP4陥落は 1987年以来の出来事であった シーズン終盤にチームオーナーが デビット・リチャーズから創業一族の 末っ子ロッコ・ベネトンに移るなど チーム内のゴタゴタが成績にも影響した ベネトンらしい派手なカラーリングから スポンサーのマイルドセブン主体の ブルーを基調とするカラーで 少しおとなしい印象を受ける1台
230423 G.FISICHELLA 5 1/43FW12C
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1997 9TH PMA PROST MUGEN HONDA JS45 O.PANIS
ブリヂストンタイヤ初の表彰台 O・パニス 新生プロストチーム MUGEN HONDA JS45 1997年リジェを買収して4度のチャンピオン アラン・プロスト率いるチームプロストが誕生 前年無限HONDAエンジンの初優勝を飾った オリビエ・パニスはエースとして残留 チームプロストはこの年から参戦した ブリヂストンタイヤのユーザー 開幕戦で早くも5位入賞 BS初ポイント R2ブラジルGPパニスは予選5位 タイヤに厳しいインテルラゴスサーキットで ブリヂストンタイヤを活かし1ストップ作戦 見事3位表彰台を獲得 BSタイヤ初の表彰台 R6スペインGPでも2位表彰台 この時点でランキング3位と好調であったが R7カナダGPでレース中に事故で両足骨折 長期離脱で終盤復帰したが年間順位は9位 チームもパニス離脱とともに失速したが それでもBSユーザーの4チームの中で トップのコンストラクタ―6位 #F1-1997年
221107 O.PANIS 14 1/43FW12C
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1985 9TH SPARK LIGIER JS25 J.LAFFITE
ジャック・ラフィー 2年ぶりのリジェに復帰 2年間ウイリアムズで苦戦したラフィーは 1985年フランスのリジェに復帰 TMはA・DE・チェザリス P・ストレイフ チームは前年同様のルノーエンジン タイヤはミシュラン→ピレリに変更 復帰初戦の開幕ブラジルで6位入賞 その後予選は15位前後と苦戦も R8イギリスで3位 表彰台は41戦ぶり R9ドイツで連続3位を獲得 R14ヨーロッパGPでは約4年ぶり 自身キャリア最後の7度目の ファステストラップを記録 最終戦は初開催のオーストラリアGP 予選20位ながら上位に浮上 最後はあわや同士討ちになりかけたが ラフィーは2位でフィニッシュ TMのストレイフも3位でW表彰台 ラフィーはこの時41歳 166戦目 翌1986年もリジェに残留となり G・ヒルの持つ決勝175スタートの F1最多出走回数の更新が期待された #1985
J.LAFFITE 1回 26 1/43FW12C
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1993 6TH PMA FERRARI F93A J.ALESI
1992年7月 フェラーリに ジョン・バーナードが再加入 1993年に登場したF93Aはバーナードの 新車が出るまでのつなぎの予定が 新車は登場せず最終戦まで使用された 歴史的失敗と言われたF92Aの象徴の ダブルフロアは廃止されたものの ノーズセクション・フロントウィングは 流用されたため大きな変化は見られない アレジは12戦目までで入賞は R6モナコGPの3位のみと苦戦 R13イタリアGPで2位表彰台 R14ポルトガルでは一時トップ走行など 後半戦に改善が見られた これは1992年で撤退したHONDAとの 技術提携によりエンジンが改善 されたことが大きいと思われる こちらのモデルもMarlboro含めた デカールの修正を実施 成績は振るわずも1990年代のフェラーリでは 一番好きなカラーリングです #1993
J.ALESI 27 1/43 MarlboroFW12C
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1987 8TH PMA BENETTON FORD B187 T.BOUTSEN
ベネトン移籍のブーツェン T・ファビと確執も最終戦3位表彰台 4年間過ごしたアロウズからベネトンに移籍 チームメイトはテオ・ファビ エンジンはBMWからフォードV6ターボに変更 開幕戦ブラジルGPで5位入賞 その後はリタイアが続いたが 予選では16戦中15戦でシングルグリット R15戦初開催の日本GP鈴鹿では これまでの自己最高予選3位→決勝も5位入賞 R16最終戦は上位走行中に周回遅れで この年限りでチーム離脱のファビから 執拗にブロックを受けて3度コースアウト 4位でフィニッシュもセナ(ロータス)が 車体規格違反で失格となり繰り上がりで3位 結果ファビを抜いて年間8位 16ポイント ファビとはその後1993年のル・マン24時間で Y・ダルマスと共にプジョーで総合2位になっている
T.BOUTSEN 2.808 20 1/43FW12C
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1994 7TH PMA McLAREN MP4/9 PEUGEOT M.BRUNDLE
ブランドルはジョーダンのオファーを断り 1994年はマクラーレンに移籍 チームメイトはM.ハッキネン マクラーレンはPEUGEOTエンジン PEUGEOTが推すP.アリオーを退けシート獲得 R4モナコで生涯2度目の2位獲得 画像5枚目はモナコ表彰式 入賞5回 ポイント16P 年間順位7位 シートを争ったP.アリオーは ハッキネンの代役でR10ハンガリーGPに出走 予選14位→決勝はリタイア ブランドルは予選6位→決勝4位 以外にも?赤いレーシングスーツの 似合うブランドルでしたが1年で マクラーレンを去ります
M.BRUNDLE 8 1/43 McLARENFW12C