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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1974 11TH IXO McLAREN FORD M23 M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド F1ラスト YARDLEY McLAREN FORD M23 1974年マクラーレンは新たなスポンサーで タバコの多国籍企業フィリップモリスの マールボロとアメリカ石油のテキサコを獲得 しかしながら前年までの化粧品会社 ヤードレーとの契約も残っており 所謂Bチームとしてプラス1台体制を取り そのチームにマイク・ヘイルウッドを起用 ヘイルウッドは開幕から3戦連続入賞 R3南アフリカGPは自身2度目の表彰台3位 R4以降の入賞はR8オランダの4位のみ R11ドイツGP終盤5位走行中に マシントラブルによりバリアに衝突 長時間閉じ込められて両脚を骨折 そのままF1からは引退となった その後2輪ドライバ―としては復帰し マン島TTレースと2年連続制覇 1981年に交通事故により愛娘とともに 残念ながらこの世を去った 享年40歳 モデルはデアゴスティーニ(IXO) F1マシンコレクションシリーズは その年の主役以外のモデルも リリースしていたのが魅力のひとつ ヘイルウッドの最後の雄姿の YARDLEY McLAREN M23もその1台 #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇬🇧マイク・ヘイルウッド (イギリス) 【決勝出走数】50回(入賞10回-表彰台2回) 【予選最高位】 ④位(2回) 1972年 SURTEES R2 南アフリカ 1974年 McLAREN R8 オランダ 【決勝最高位】 ②位 1972年 SURTEES R10イタリア 【FastestLap】 🏁1回 1972年 SURTEES R2 南アフリカ 【年間最上位】❽位 1972年 SURTEES 13ポイント
231027 M.HAILWOOD F1マシンコレクション 1974FW12C
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1972 8TH SPARK SURTEES TS9B M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド キャリアベストの2位 SURTEES TS9B 1972年ヘイルウッドは ヨーロッパF2に参戦しながら 前年度スポット加入したサ―ティスから参戦 チームメイトはA・アダミッチ T・シェンケン 同じサ―ティスから参戦の ヨーロッパF2では2勝でチャンピオン獲得 R2南アフリカGPからエントリー キャリアベストタイのいきなり予選4位 決勝ではキャリア唯一のFLも記録 その後決勝で4位2回6位1回で迎えた R10イタリアGPでは予選9位から 上位陣の脱落にも助けられて 決勝は自身初の表彰台は生涯唯一となる2位 サードドライバーで加入したが 他の2人を圧倒してエース扱いとなった 年間では13ポイントで8位となり F1での順位 ポイントともベストシーズン モデルはSPARK ヘイルウッド唯一の2位のイタリアGP仕様 このイタリアGPではチームオーナーで 1964年のワールドチャンピオン ジョン・サーティスがスポット参戦 サ―ティスのF1ラストレースでもあった
230907 M.HAILWOOD 1972 10FW12C
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1993 7TH SPARK LIGIER JS39 M.BRUNDLE
2度目のブランドル・ブランデル イギリス人コンビ LIGIER JS39 1993年はリジェはドライバ―を一新 当初は前年度にブラバムで参戦 ウイリアムズのテストドライバーも 務めたデイモン・ヒルにオファーも固辞 その後も実力者イギリス人ドライバ―で ベネトン離脱のマーティン・ブランドルと マクラーレンのテストドライバーであった マーク・ブランデルを起用 実況泣かせの2度目のM・Bコンビ結成 1976年から参戦のリジェ史上初めて フランス人ドライバ―無しとなった 当時最強のルノーエンジン2年目 マシンともマッチして飛躍 ブランドルはR4サンマリノGPで 予選10位→決勝3位表彰台を獲得 ここから13戦で半分以上の7度の入賞 チームも最終戦まで4位フェラーリと争い 敗れたものの4強に次ぐ5位に躍進 ブランドルは終盤2戦を 日本でのGITANEタバコ発売記念の 特別artカラーで出場し話題となった https://muuseo.com/FW12C/items/124?theme_id=31948
230626 M.BRUNDLE 25 1/43FW12C
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1990 9TH REVE COLLECTION TYRRELL 018 J.ALESI
ジャン・アレジ 1990年開幕戦 A・セナとのバトル TYRRELL 018 1990年ジャン・アレジはF1本格参戦 ティレル残留 チーム・メイトは中嶋悟 開幕戦アメリカGP フェニックス マシンは昨年型のTYRRELL 018 予選4位から1周目にトップに立ち快走 33週目第1コーナーで A・セナ(マクラーレン)に一度は抜かれるも 第2コーナーでインからすぐさま抜き返し 再びトップに戻ったシーンは新星アレジを 象徴するシーンともなった 最終的には2位でフィニッシュ 自身初の表彰台(アレジの通算表彰台32回) モデルはREVE COLLECTIONアメリカGP仕様 隠れた名車TYRRELL 018で 中嶋悟も開幕戦で6位入賞 次戦ブラジルGPまで使用され役目を終えた 当館 TYRRELL 50台目の登録 #F1-1990年
230118 J.ALESI 4 1/43FW12C
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1997 11TH PMA JORDAN PEUGEOT 197 R.SCHUMACHER
ミハエルの弟 ラルフ・シューマッハ F1デビュー JORDAN PEUGEOT 197 1995年マカオGP優勝 史上初の兄弟での マカオGP優勝 ミハエルは1990年 1996年フォーミュラニッポン初代王座 1997年ジョーダンよりF1デビュー R3アルゼンチンGPで早くも3位表彰台 ラルフの生涯表彰台は27回 入賞90回 しかしこのGPで先行するチームメイと絡み 先行していた G・フィジケラはリタイア チーム内は険悪なムードとなる 初年度は6度の入賞で年間11位 翌年もジョーダンに残留 ミニチャンプスではラルフ・シューマッハ コレクションとして発売 台紙はジョーダンのイエローに合わせた 特別カラーとなっている #1997年
221205 R.SCHUMACHER 11 1/43FW12C
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1984 10TH PMA LOTUS RENAULT 95T N.MANSELL
ナイジェル・マンセル ロータス最終年 自身初のポールポジション LOTUS 95T 1984年ロータスは開幕より新車95Tを投入 前年度後半の94Tをレギュレーションに合わせ 小型化 タイヤはピレリ→グッドイヤーに変更 マンセルはR6モナコGPで予選2位から 決勝は初のラップリーダーを5周記録も 大雨の中スリップしてリタイア R9アメリカGPでは自身初となるPPを獲得 マンセルのF1通算PPは32回 決勝は35周目までTOPを守るも K・ロズベルグ(ウイリアムズ)に抜かれTOP陥落 これが結果ウイリアムズ HONDAの初優勝につながる マンセルは入賞圏内を走行も チェッカー目前で壁にあたりミッション破損 自ら押してチェッカーを目指し 観客から大きな拍手で迎えられたが 体力が無くなり気絶して倒れてしまう (結果は3周遅れの6位完走扱い) 1984年完走5回はすべて入賞も残りはリタイア マンセルらしい結果で年間順位は10位 TMのE・アンジェリスは3位と大差をつけられた スポット参戦を含め5年間過ごした ロータスでの成績は3位(5回)が最高 A・セナの移籍もありロータスを離れ 翌1985年はウイリアムズ HONDAに移籍する #1984年 #LOTUS #マンセル #F1-1984年
N.MANSELL 850 12 1/43FW12C
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1984 9TH+α TOLEMAN TG184 A.SENNA (PORTUGUESE GP)
アイルトン・セナ 初年度最終戦 自己最高予選3位&3度目の表彰台 セナの初年度1984年最終戦は初開催の R16ポルトガルGP エストリル TMはステファン・ヨハンソン このGP限定の派手なカラーリングは ドイツの消防設備や消防車のトップメーカー MAGIRUSのスポンサーのによるも 予選はトップから0.233遅れの 初年度自己最高の3位を獲得 決勝はA・プロストとN・ラウダ(マクラーレン) ワールドチャンピオン争いの中 中盤戦は4位を走行中 52週目に N・マンセル(ロータス)がブレーキトラブルで 後退して3位浮上してそのままチェッカー 初年度で3回目の表彰台を飾り最終戦で T・ファビ(ブラバム) P・タンベイ(ルノー) N・マンセル(ロータス)を抜いて年間9位 セナはトールマンからロータスに移籍 このGPの2戦後の1985年R2同じポルトガルで 自身初の優勝を飾ります #1984 #F1マシンコレクション #F1
A.SENNA F1マシンコレクション 1回 19FW12C
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1995 10TH PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES M.BLUNDELL
マーク・ブランデルF1最後の車体 McLAREN MP4/10 MERCEDES 1995年ブランデルは急遽 N・マンセルの代役としてR1・R2を マクラーレンで参戦する マンセル用の広いコックピットを 作成する間の暫定であった マンセルがR4モナコで離脱の為 R5スペインGPからもシート獲得 数戦ごとの契約で最終戦まで走行 R16鈴鹿では予選でまともに走れず タイムは16分42秒 1995年は予選落ちが無く これはF1史上でも最も遅い予選通過タイム 年間ではTMのM・ハッキネンを 入賞回数では上回り6度 ポイントでは負けて13P 年間10位 翌1996年はザウバーのシートを 狙うもJ・ハーバートに敗れ獲得ならず 盟友M・ブランドルより1年早く 1995年でF1からは引退した マーク・ブランデル (イギリス) 決勝出走回数 61回 入賞回数 13回 予選最高位 4位 1993年 リジェ R8フランス 決勝最高位 3位(3回) 1993年 リジェ R1南アフリカ 1993年 リジェ R10ドイツ 1994年 ティレル R5スペイン #1995
M.BLUNDELL 7 1/43 McLARENFW12C
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1994 9TH PMA WILLIAMS RENAULT FW16 N.MANSELL
RED 5 ならぬ RED 2 が電撃復帰 セナ亡き後のF1人気低迷低下の起爆剤 バニー エクレストンの仲介で 1994年インディ2年目のN.マンセルは インディの無いR7フランスGPに参戦 フランスは予選2位→決勝リタイヤ インディ終了後の終盤3戦も出場し R15鈴鹿ではJ.アレジ(フェラーリ)との 3位バトルで最終コーナーでかわすも 2ヒートだった為結果は4位 鈴鹿初完走 最終戦オーストラリアでは 通算32回目のPP 通算31回目の最後の勝利を飾る これによりウィりアムズの コンストラクタ―3連覇も達成 悲しき1994年の最後は マンセルの優勝で締めくくりました #1994
N.MANSELL 2 1/43 WILLIAMSFW12C
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1990 9TH SPARK TYRRELL 019 J.ALESI
ハイノーズの元祖 TYRRELL 019 ジャン アレジ F1におけるハイノーズのアイディアは E・ニューウェイ 〖マーチ881〗 J・バーナード 〖フェラーリ640〗 でも外見では見えない形で試されてきた ジャン=クロード・ミジョーが 1990年R3サンマリノGPより登場させた ティレル019は大胆なハイノーズの デザインで一瞬にして周囲を驚かせた この形状はおよそ3つの名称がある 【ドルフィンノーズ】 019の形状と色がイルカの頭部に似ている 【コルセアウイング】 F4U戦闘機の逆ガルウイングに類似 【アンヘドラルウイング】 アンヘラルド=下反角の形状によるもの ジャン・アレジはこの019導入の R3サンマリノGP 予選7位→決勝6位 R4モナコGP 予選3位→決勝2位 と いきなりの速さと見せた その後はポイントは獲得はならずも 強烈なインパクトを残す1台となった ハイノーズの主流はベネトン191で導入された 2点式の吊り下げ型ウイングに変わったが ハイノーズの元祖ともいえるべき技術で 現在でもコンセプトは継承されている
J.ALESI 4 1/43 MarlboroFW12C
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1984 9TH PMA TOLEMAN HART TG183B A.SENNA
アイルトン・セナ デビューマシン 2戦目初入賞 TOLEMAN HART TG183B アイルトン・セナ ブラジル出身 1983年 イギリスF3 20戦12勝 マーティン・ブランドルと激しい争いを 僅差で制しチャンピオン獲得 1984年トールマンからF1デビュー 前年度終盤D・ワーウィックが 4戦連続入賞したTG183Bを4戦まで使用 チームメイトはジョニー・チェコット R2南アフリカGP 予選13位→決勝6位初入賞 セナのキャリア入賞回数は96回 R3ベルギーでも決勝6位連続入賞 R4サンマリノGP トールマンはタイヤを ピレリ→ミシュランに変更トラブルがあり 金曜日は走行できず 土曜日はピレリが供給したものの エンジントラブルがありまともに走行できず セナキャリア唯一の予選落ちをしている R5からニューマシンTG184が投入され セナのTG183Bは4戦のみでの使用となった モデルはミニチャンプス セナコレクション台紙 No.10 エラー品でフロントタイヤがグッドイヤー リアタイヤがピレリになっている セコハン購入の為 出荷時のエラー品か 途中で手が加えられたモノか不明…
A.SENNA SENNA COLLECTION 1984 19FW12C
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1983 9TH PMA BRABHAM BMW BT52 R.PATRESE〖🏆1〗
ブラバム2年目パトレーゼ 不振の中最終戦通算2勝目BT52 1983年チームメイトのN・ピケが チャンピオン争のなかパトレーゼは 前半戦でノーポイントに終わる ミニチャンスプ初期のF1モデルでは 珍しいGP仕様(サンマリノ) このGPパトレーゼは予選5位より 途中トップに立つもクラッシュ ファステストラップ記録も13位完走扱い R10ドイツGPでようやく3位初入賞 最終戦南アフリカGPは 逆転でチャンピオンのN・ピケをサポート 最終的にピケを先行して優勝 自身通算2勝目を上げた 翌1984年はアルファロメオに移籍 パトレーゼの次の勝利(通算3勝目)は 1990年のウイリアムズまで 7年間のブランクが空く
R.PATRESE 1回 6 1/43FW12C
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1993 7TH SPARK LIGIER JS39 M.BRUNDLE GP AUSTRALIAN
日本GITANES発売記念 ブランドルのみの 2戦限定ARTカラー LIGIER JS39 1993年 リジェに移籍 M.ブランドル 2度目のM.ブランデルとのMBコンビ 表彰台はサンマリノの3位のみも 入賞は7回 13ポイント 年間順位7位 日本GPは日本国内でのGITANESの タバコ販売記念としてイタリアの漫画家 Hugo Pratt氏が手掛けたartカラーで出走 (ブランドルのみ 現在では規定違反) モデルは次戦のオーストラリアGP仕様 予選8位→決勝6位入賞 好評だった為?かartカラーは継続されました 画像5枚目 ONYXでも発売されてます。 出来はもちろんSPARKの方が良いですが 約25年以上前にONYXが発売したことに敬意 (恐らくJS37にデカール添付??)
M.BRUNDLE 25 1/43 GITANESFW12C