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2001 17TH PMA BENETTON RENAULT SPORT B201 J.BUTTON
最後のベネトン←レンタル移籍 ジェンソン・バトン BENETTON B201 2001年前年度ウイリアムズで 新人らしからぬインパクトを残した ジェイソン・バトンであったが CARTチャンピオン J・P・モントーヤの 加入によりウイリアムズのシートを失い ベネトンにレンタル移籍となった チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ エンジンパワー不足などで戦闘力の低いB201 バトンはR4~R6まで3戦連続 予選 22台中21位と厳しい戦い R12ドイツGP 決勝5位が唯一の入賞 最終戦鈴鹿ではシーズンベストの予選9位 決勝は惜しくも入賞一歩手前の7位フィニッシュ 終盤戦で改善の兆しが見えた所で 1986年設立されたベネトンF1が終焉を迎え 翌年からはルノーとなりバトンは残留 モデルはミニチャンプス オリジナルはJENSONのドライバー名の車体を タバコブランド【MILD SEVEN】に変更 カラフルで派手な色彩でF1にインパクトを与えた ベネトンのマシンの最後は シンプルなマイルドセブンのブルーであった
250225 J.BUTTON 2001 8FW12C
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1992 3RD PMA BENETTON FORD B192 M.SCHUMACHER〖🏆1〗RB
GODE別注 ROAD BOX M.シューマッハ BENETTON B192 1988年~1991年までF1量販モデルカーは ポルトガルのONXY社がほぼ独占で発売 1992年~ドイツのPMA(Paul's Model Art)社が MINICHAMPSブランド ダイキャスト製法で参入 自国で企画・設計 中国で生産という 近年まで模型業界の主流となったスタイルを確立 初期モデルとして1992年の6種類 ウイリアムズ(N.マンセル/R.パトレーゼ) フェラーリ(J.アレジ/I.カペリ) ベネトン(M.シューマッハ/M.ブランドル) が発売され台紙はサーキット風 ROAD BOXとも呼ばれており この台紙は現在まで当該6種モデルのみ 他の5種類はセコハン市場でも見かけるが ミハエルのモデルだけはほとんど出会えない 私が所持しているモデルは 台紙のドライバー名に修正がある為 純正がどうか不明だがGODEの証紙は付属 当時の定価は2000円台 2025年現在は精巧になりレジン製が主流で モデル化も格段に速くなったが 定価は約10倍の2万円を超えている MINICHMPSはONYXとの販売競争に勝ち 一時はF1量販モデル市場の独占もあったが 2007年よりMINIMAX(SPARK)社が参入 現行モデルはBBURAGOを含め 3社の発売となっている
250125 M.SCHUMACHER ROAD BOX 1992FW12C
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2001 11TH PMA BENETTON RENAULT SPORT B201 G.FISICHELLA
ベネトン最後の入賞は3位表彰台 ジャンカルロ・フィジケラ BENETTON B201 2001年 フィジケラはベネトン4シーズン目 チームメイトはウイリアムズから レンタル移籍となったジェンソン・バトン 翌2002年からルノーにチームが買収され チームは翌シーズンへのテスト的に戦い 特に前半はベネトン史上最低の成績 後半は新型エンジンの開発も進み成績が向上 フィジケラはR14ベルギーGP 予選8位 決勝は途中赤旗中断でレース打ち切りとなったが 結果的に3位表彰台を獲得 1986年から参戦したチームベネトン最後 102回目の表彰台 212回目の入賞となった フィジケラは入賞3回 8ポイントで シーズンランキングは11位 翌2002年はジョーダンに移籍 佐藤琢磨とのコンビとなる モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR 仕様 タバコ禁止GPでは MILD SEVEN→ドライバー名となり フィジケラは愛称の【FISICO】 #2001年
241123 G.FISICHELLA 2001 7FW12C
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1988 4TH SPARK BENETTON B188 T.BOUTSEN (GP CANADA)
🗞️2024年10月24日 1982年東京に初出店したイタリアの ファッションブランド ベネトンが 日本市場からの撤退を発表 ブーツェン キャリアベストシーズン 6度の表彰台 BENETTON B188 ベネトン2年目のブーツェン チームメイトはアレサンドロ・ナニーニ 翌1989年からのターボエンジン禁止に先駆け エンジン製作のコスワースはベネトンに 自然吸気エンジンを搭載した DFZの改良モデルとなるDFRを独占供給 ブーツェンは6度の3位表彰台 ベルギーGPは後に失格となったが 6回の表彰台の内5回がマクラーレンの 1位セナ 2位プロスト+3位ブーツェンの順位だった ブーツェンはキャリアベストのシーズン4位 翌1989年はウイリアムズに移籍 モデルはSPARK タバコCAMEL貼付 R5カナダGP仕様 予選7位→決勝3位 ミニチャンプスのモデルでは無かった B188の特徴でもある前後ウイングを 支えていたワイヤーも再現されている https://muuseo.com/FW12C/items/416
241025 T.BOUTSEN 1988 20FW12C
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2000 6TH PMA BENETTON PLAYLIFE B200 G.FISICHELLA
コンストラクター4位返り咲き 3度表彰台 G・フィジケラ BENETTON B200 2000年ベネトン3年目のフィジケラ チームメイトも3年連続A・ブルツ 前年度の挑戦的なマシンから一転 シンプル&ベーシックなコンセプト フィジケラはR2ブラジルGPで2位表彰台 前半8戦 表彰台3回 入賞5回 全戦完走 後半戦は他のチーム開発が進み苦戦 フィジケラはノーポイントに終わるも 前半戦のポイント貯金でコンストラクター ランキングは前年度6位から 1997年以来となるトップ4に返り咲いた モデルはミニチャンプス GP表記の無いレース仕様 エンジンは元々ルノーでスーパーテックが開発 ベネトンの自社ブランド プレイライフのバッジ このベネトン プレイライフブランドは 同2000年のシドニーオリンピックで イタリア代表のウエアーとシューズに使用も エンジンバッジ名称ははこの年で終了した
240514 G.FISICHELLA 2000 11FW12C
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2000 15TH PMA BENETTON PLAYLIFE B200 A.WURZ
アレキサンダー・ブルツ 自身最後のベネトン BENETTON B200 2000年ブルツはベネトンレギュラー3年目 チームメイトは3年連続G・フィジケラ フィジケラが前半8戦で 2位1回 3位2回など5度の入賞の中 ブルツは前半戦まさかのノーポイント 後半戦はフィジケラも失速しノーポイント ブルツはR14イタリアGPで ようやく5位でシーズン初ポイントを獲得も 入賞はこの1度限りとなった ブルツはこの年限りでベネトンを離れ 翌2001年はマクラーレンのテストドライバー 後2005年に同チームで代役でスポット参戦 モデルはミニチャンプス GP仕様無しのRACE CAR MILD SEVENEのブルーがベース タバコ禁止GPではチーム名の BENETTONがエンジンカバー等に貼られた
240227 A.WURZ 2000 12FW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1999 13TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 A.WURZ
革新的技術FTT投入も不発 ブルツ入賞2回 BENETTON B199 1999年低迷を打破する為過激なる進化と 名を打ちフロント・ブレーキが ロックするのを防ぐFTTを採用 (トルク・トランスファー・システム) しかしこのシステムはフロントに装置が 組み込まれていた為重量的にハンデとなり マシンバランスも悪化 さらに高身長のブルツ(187㎝)には 更に負担増となりシーズン通して苦戦 ブルツは予選でシングルグリット3回 決勝でもR4モナコの6位と R9地元オーストリアの5位の2度の入賞のみ 年間で3ポイントの13位 コンストラクタ―も6位に転落 前年度のカラーリングから リアウイングの前にベネトンの 象徴とも言える4色の絵の具ランインを 復活させるも成績は上向きにならなかった
230821 A.WURZ 1999 10FW12C
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1998 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 G.FISICHELLA
ベネトン移籍ジャンカルロ・フィジケラ 自身初のPP獲得 BENETTON B198 1998年フィジケラはベネトンに移籍 チームメイトはアレクサンダー・ブルツ フィジケラはベネトンの名称が無くなる 2001年まで同チームに所属する ベネトンは開幕直前にタイヤを グッドイヤー→ブリヂストンに変更 これが功を奏した事もあり序盤は好調 フィジケラはR6モナコ・R7カナダと 2戦連続で2位表彰台を獲得 R10オーストリアでは雨の予選の中 自身初のポール・ポジション獲得 フィジケラの通算PPは4回 しかし決勝は無念のリタイア GY勢の巻き返しもあり後半は苦戦 最終戦でジョーダンに逆転されて コンストラクターは5位に転落 ベネトンのコンストラクターTOP4陥落は 1987年以来の出来事であった シーズン終盤にチームオーナーが デビット・リチャーズから創業一族の 末っ子ロッコ・ベネトンに移るなど チーム内のゴタゴタが成績にも影響した ベネトンらしい派手なカラーリングから スポンサーのマイルドセブン主体の ブルーを基調とするカラーで 少しおとなしい印象を受ける1台
230423 G.FISICHELLA 5 1/43FW12C
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1998 8TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 A.WURZ
アレクサンダー・ブルツ 初のフル参戦 BENETTON PLAYLIFE B198 A・ブルツ オーストラリア出身 前年度同郷G・ベルガーの代役で3戦出場 1998年は引退したベルガーの後押しもあり ベネトンのレギュラーシート獲得 ベネトンは前年度限りでワークス提供が 終了したルノーエンジンをベースに メカクローム社が開発したエンジンを搭載 本社のアパレルラインのブランドの プレイライフ (PLAYLIFE)のネームを付けた 開幕前にタイヤをGY→BSに変更が功を奏し 前半戦は9戦中6回の入賞 4位が5回 R3アルゼンチンでは自身生涯唯一の ファステストラップも記録した しかし後半戦はGY陣営の巻き返しや エンジン開発も停滞して苦戦 R10~は7戦連続ノーポイントに終わる ブルツは年間17ポイントで8位 チームは最終戦でジョーダンに逆転されて 1987年以来のコンストラクターポイント トップ4から陥落し低迷期に入る
230303 A.WURZ 1回 6FW12C
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1997 5TH PMA BENETTON RENAULT B197 G.BERGER〖🏆1〗
ゲルハルト・ベルガー ラストイヤー 最後の10勝目 BENETTON RENAULT B197 38歳のベルガーは中盤3戦を体調不良で欠場 更に飛行機事故で父親を亡くす傷心の中 R10ドイツGPで復帰 予選でPPを獲得 決勝は2日目のピットストップ後 G・フィジケラ(ジョーダン)を抜いて 再びトップに立ちそのままチェッカー 復帰戦を3年ぶりの通算10勝目で飾る このGPでのPP・FL・優勝 そして48回目の表彰台はいずれも自身最後 14年のF1レースキャリアの幕を閉じた #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇦🇹ゲルハルト・ベルガー(オーストリア) 【決勝出走数】210回 (入賞95回-表彰台48回) 【予選最高位】🚩PP(12回) 【決勝最高位】🏆️優勝(10回) 【FastestLap】🏁FL(21回) 【年間最上位】❸位 1988年 FERRARI 41ポイント
221125 G.BERGER 1回 8FW12C
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1997 4TH PMA BENETTON RENAULT B197 J.ALESI
ベネトン2年目 ジャン・アレジ 自身2度目PP BENETTON RENAULT B197 1997年ベネトンは前年と同じ J・アレジ G・ベルガーのコンビ チームの主要スタッフが次々と離脱 チームのモチベーションが低下した その中でアレジは17戦中 完走14回 入賞10回 表彰台5回中 2位が4回 R13 イタリアGP モンツァでは 自身2度目のポール・ポジション獲得 決勝は惜しくも2位 自身通算2勝目ならず 年間では3位D・デビットクルザード (マクラーレン)と同36ポイントながら 優勝回数の差で4位 生涯ベストタイ ベネトンはチーム若返りを図りアレジ離脱 翌1998年はザウバーに移籍 画像1~5 日本GP仕様 サイドPのスポンサーが【FedEx】 MILD SEVENにデカール加工 画像6 通常版 サイドPのスポンサーが【prince】
221117 J.ALESI 2.000 7FW12C
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1997 14TH PMA BENETTON RENAULT B197 A.WURZ
アレクサンダー・ヴルツ オーストリア出身 デビューイヤー 表彰台 BENETTON B197 1996年ル・マン24時間レースの覇者 ル・マン史上最年少総合優勝記録 22歳4カ月 1997年はベネトンのテスト・ドライバー 同郷のG・ベルガーの欠場でチャンスが巡る 3戦出場で内2戦はTMのJ・アレジに予選で勝ち R9イギリスGPでは予選8位から自身初入賞を 3位表彰台で飾る 通算表彰台3回 入賞14回 モデルはそのイギリスGP仕様 この活躍もあり翌1998年から3年間 ベネトンのレギュラーシートを獲得 途中ブランクもあったが2007年までF1で活躍 2014年~GPDA(F1選手会組織)会長に就任 #F1-1997年
221108 A.WURZ 2.222 8FW12C
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1986 7TH+α BENETTON BMW B186 G.BERGER
1986年R7アメリカEASTデトロイトGP タイヤペイント仕様 BENETTON B186 1986年トールマン買収し新規参入ベネトン イタリアのファッションブランドならではの ド派手なマシンのカラーリング R7 アメリカEAST デトロイトGPの予選では ピレリに協力を得てタイヤの サイドウォールまでペイントを施し しかもイン側とアウト側で違う色という拘り G・ベルガーは派手なカラーと裏腹に 予選12位(この年のワースト2番目) 決勝もイグニッションのトラブルでリタイア B186はロリー・バーンのデザインで バーンの中でB188の次にお気に入りのマシン ベネトンの台紙とマッチしてとても良いです #F1-1986年
221002 G.BERGER 2回 20FW12C