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1990 4TH PMA McLAREN HONDA MP4/5B G.BERGER (Marlboro)
マクラーレン移籍 ゲルハルト・ベルガー 11戦連続完走 McLAREN HONDA MP4/5B 1990年アラン・プロストがフェラーリに移籍 トレードのような形でマクラーレンに加入した ゲルハルト・ベルガー(オーストリア) チームメイトはアイルトン・セナ マシンは前年度改良型MP4/5B 開幕戦アメリカGP予選 セナを破りいきなりのPPを獲得 (決勝は最終的にリタイア) この年はベルガー5年ぶりの未勝利となるも R2~R13まで11戦連続完走(2位2回 3位5回) 16戦中リタイアは3回と安定の走りを見せ 前年度フェラーリ時(完走3回)とは真逆の結果 最終戦でネルソン・ピケ(ベネトン)にポイントで 並ばれ勝利数の差で(ベルガー0勝/ピケ2勝) 年間ランキングは4位に落ちたものの 移籍1年目でマクラーレンの コンストラクター3連覇に貢献をした モデルはミニチャンプス マクラーレンオリジナル台紙(No.8) 販売時はバーコード仕様のモデルを タバコブランド〖Marlboro〗にデカール加工 MP4/5Bは集英社の〖週刊少年ジャンプ〗が スポンサーとなりフロントノーズの先端に 〖ジャンプ〗の小さなロゴが貼られた スポンサー料は1年で約1億円と言われている 関連で〖GP BOY〗というモータスポーツの 漫画が連載されマクラーレンチーム・ ドライバー(セナ)が実名で登場した
250208 G.BERGER 1990 28FW12C
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1974 7TH SPARK McLAREN M23 D.HULME〖🏆1〗
デニス・フルム ラストイヤー 最後の勝利 McLAREN M23 1974年フルムはマクラーレン7年目 チームメイトはロータスより エマーソン・フィッテパルディが移籍 ワールドチャンピオン コンビ サードドライバーはマイク・ヘイルウッド 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位 決勝 終盤2位を走行 地元の英雄カルロス・ロイテマン(ブラバム)に トラブルが発生 ラスト2周でパスし そのままチェッカー 自身通算8勝目 R5ベルギーでファステスト・ラップ R12オーストリア 決勝2位以外の入賞は 6位が5回と精彩を欠き エマーソンの2度目のチャンピオンを 見届けて自身はF1から引退した モデルはSPARK Marlboro加工 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位→決勝WIN 自身最後の8勝目 8勝は全ての国(サーキット)が異なる デニス・フルム以降~現在まで ニュージーランド出身ドライバーの勝利は無い #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇳🇿デニス・フルム (ニュージーランド) 【決勝出走数】111回 (入賞61回-表彰台33回) 【予選最高位】🚩PP 1973年🟥McLAREN R03 南アフリカ 【決勝最高位】🏆️優勝(8回) 1967年🟩BRABHAM R02 モナコ 1967年🟩BRABHAM R07 ドイツ 1968年🟥McLAREN R09 イタリア 1968年🟥McLAREN R10 カナダ 1969年🟥McLAREN R11 メキシコ 1972年🟥McLAREN R02 南アフリカ 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1974年🟥McLAREN R01 アルゼンチン 【FastestLap】🏁FL(9回) 1966年🟩BRABHAM R05 オランダ 1967年🟩BRABHAM R01 南アフリカ 1967年🟩BRABHAM R06 イギリス 1971年🟥McLAREN R10 カナダ 1972年🟥McLAREN R09 オーストリア 1973年🟥McLAREN R02 ブラジル 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1973年🟥McLAREN R08 フランス 1974年🟥McLAREN R05 ベルギー ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 1967年 BRABHAM (2勝/11戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 2413
250202 D.HULME 1974 1回FW12C
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1973 9TH SPARK ISO-MARLBORO IR J.ICKX
1シーズン 3チーム目 ジャッキー・イクス ISO MARLBORO IR 1973年フェラーリで シーズンスタートしたジャッキー・イクス チームは不振により R10オランダGP R11ドイツGPを 開発の為欠場という事態を招いた イクスはR11ドイツGPにマクラーレンの 3RDドライバーとして参戦 この後フェラーリに戻るも1戦のみで離脱 最終戦はフランク・ウイリアムズ率いる イソ マールボロから参戦 チームメイトはハウデン・ガンリー 予選24位と下位に沈むも 決勝は追い上げ入賞手前7位完走 ガンリー(12位)を上回った 翌1974年イクスはロータスに移籍 1976年に再びウイリアムズに戻る モデルはSPARK R15アメリカGP仕様 予選24位→決勝7位 メインスポンサー Marlboro加工 チームISO MARLBOROは資金難で この年9名ものドライバーを起用 イクスはその最後となる9人目であった 2372
250102 J.ICKX 1973 26FW12C
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1988 (29TH) SPARK EUROBRUN ER188 S.MODENA
シャイなイタリアン ステファノ・モデナ 初のフル参戦 EUROBRUN ER188 1988年前年度最終戦ブラバムで スポット参戦したステファノ・モデナは 新チーム ユーロブルンでレギュラー参戦 チームメイトはオスカー・ララウリ 新チームならではのドタバタぶりで R3モナコGP 重量測定を受けなかったため R4メキシコGP 規定外のリアウイングを使用 モデナは2戦連続の失格となった 予選最高 15位 R5カナダ 決勝最高 11位 R10ハンガリー 1990年終盤まで参戦するユーロブルンの どちらも最高成績をモデナが記録している スポンサー不足による資金難で 開発が進まずモデナは 後半戦4度の予選落ち チームを離脱し翌1989年はブラバムに復帰 モデルはSPARK R7フランスGP 予選20位→決勝14位 参戦当初は真っ白のボディであったが 徐々に小スポンサーを獲得 エンジンカウルの【TOMMASINI】は 1957年設立 イタリアの自転車ブランド コックピット周辺のタバコ【Marlboro】 デカールが付属し貼付済み 2323
241210 S.MODENA 1988 33FW12C
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1983 8TH SPARK ALFA ROMEO 183T A.DE.CESARIS
チェザリス キャリアベスト2度の2位 唯一のFL記録 ALFA ROMEO 183T 1983年チェザリスはアルファロメオ復帰2年目 チームメイトはマウロ・バルディ 伊コンビ マシンはジェラール・ドゥカルージュ作 アルファロメオ初のターボエンジン搭載 開幕戦は失格等 序盤は苦戦したものの R6ベルギーGP 予選3位 決勝オープニングラップからトップに立ち キャリア唯一となるファステストラップ記録 最終的にエンジンが壊れリタイア R10ドイツGP 予選3位 トップのルネ・アルヌーからは離されるも キャリアベストとなる2位表彰台獲得 最終戦R15南アフリカでも2度目の決勝2位 1979年~の第2期アルファロメオ時代の 決勝最高成績2位はチェザリスによるものだった 予選では14戦中11度のシングルグリッド しかし決勝では14戦中9度のリタイア 完走率の低さもありアルファロメオは 契約継続せずチェザリスは 翌1984年はフランスのリジェに移籍 モデルはSPARK R15南アフリカGP仕様 予選9位→決勝2位 優勝のR・パトレーゼ(ブラバム)とは9秒差 記録上はチェザリスが最も優勝に近かったレース この2位によりランキング8位はキャリアベスト 15ポイントもキャリア唯一の2桁ポイント
241202 A.DE.CESARIS 1983 1回FW12C
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1989 (32TH) SPARK RIAL ARC2 B.GACHOT
オニクス解雇でリアルに移籍も連続DNQ ベルトラン・ガショー RIAL ARC2 1989年チームオニクスでデビューした ベルトラン・ガショー ベルギー出身 (1992年~現在はフランス国籍) オニクス所属時にF1デビューを果たすも 公然とチームを批判し オーナーが激怒 R12イタリアGPでオニクスを解雇される R15日本GPはリアルから出場 チームメイトはピエル・アンリ・ラファネル リアルはR7フランスGPから全戦予選落ち ガショーもR15日本GP/R16オーストラリアGP とも連続予選落ち チームリアルは わずか2年の短命で消滅した ガショーは翌1990年は日本のスバルエンジン 搭載が決まったコローニに移籍 モデルはSPARK R15日本GP仕様 予選最下位の30位で予選落ち Marlboroタバコデカール貼付 当時の所持している速報雑誌(GPX)では リアルは日本GP直前号では グレガー・フォイテク(スイス)で登録 日本GP号でもガショーの予選落ち結果のみで 急遽の起用だった為かリアル移籍の情報は 何も掲載されていなかった
241114 B.GACHOT 1989 38FW12C
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2001【WORLD CHAMPION】HOT WHEELS FERRARI F2001 M.SCHUMACHER 〖🏆9〗
🔲🔲🔲2001🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI F2001 🟥⬜M.SCHUMACHER⬜🟥 🔲🔲🔲全17戦🔲🔲🔲 【出走】17回【PP】11回 【優勝】 9回【FL】 3回 ミハエル4度目のワールドチャンピオン これまでアラン・プロストが持っていた 最多ポイント・最多FL・最多勝を 全て塗り替えて 4戦残してWタイトル モデルはHOT WHEELS GP表記の無いRACE CAR 仕様 2001年のモデルより シルバーベースのプレート風の マシン&ドライバー表記が 台座上側(右下)に変更された タバコMarlboroデカール加工 #2001年
240610 M.SCHUMACHER 2001 3回FW12C
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1974 14TH SPARK (FRANK WILLIAMS) ISO Marlboro FW03 A.MERZARIO
F・ウイリアムズに移籍 キャリア最高予選3位 A・メルツァリオ ISO Marlboro FW03 1974年フェラーリを離脱した アルトゥーロ・メルツァリオは フランクウイリアムズのチームに移籍 コンストラクター名称はISO Marlboro チームは基本メルツァリオ1人体制で 途中数名のドライバーがスポット参戦 終盤は新人ジャック・ラフィーが加入 メルツァリオはR3南アフリカで キャリアベストの予選3位→決勝6位入賞 R14イタリアGPは予選15位ながら 決勝は4位入賞でこちらもキャリアタイ記録 並びにメルツァリオの生涯最後の入賞 年間では入賞2回 ランキング14位 モデルはスパーク メルッザリオの地元 R14イタリアGP仕様 予選15位→決勝4位 メルッザリオ キャリア最後5度目の入賞 タバコブランド Marlboro貼付 前年度フェラーリ所属時に 設計ミスなどもありまともに走行できなかった 事に対してエンツオ・フェラーリは謝罪の意を 述べており ファラーリから支援を受け メルッザリオのヘルメットには 跳馬のロゴが付けられている #1974年
240523 A.MERZARIO 1974 20FW12C
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1973 (33RD) SPARK Iso-Marlboro IR T.SCHENKEN
フランク・ウイリアムズ FWシリーズ始祖 Iso-Marlboro IR ティム・シェンケン 1973年ウイリアムズチームは R4スペインGPよりニューマシンで イタリアのスポーツメーカー イソと マールボロのスポンサー名をあしらった イソ-マールボロ・IRを導入 イソ-マールボロ・IRはFW01とは 呼ばれなかったものの 現在まで続くウイリアムズチームの FWシリーズの始祖でもある このマシンは3台製作されFW01~03となり その後1975年に製作されたFW04から 数字が形式を表す命名法を採用 2024年度はFW46となっている ティム・シェンケン(オーストラリア) 前年度1972年でサーティスを離れ 1973年はF1シートは喪失していたが R14カナダGPにスポット参戦 決勝は14位 チームメイトのハウデン・ガンリーが チーム2度目の6位入賞をしている モデルはスパーク シェンケンがシーズン唯一の出走の R14カナダGP仕様 予選24位→決勝14位 タバコブランドMarlboro仕様 資金難であったウイリアムズチームは 2NDシートを資金持込みドライバー用として 8名がドライバーエントリー シェンケンは8人中の7番目のドライバー
240302 T.SCHENKEN 1973 26FW12C
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1974【WORLD CHAMPION】 McLAREN FORD M23 E.FITTIPALDI〖🏆3〗
🔲🔲🔲1974🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN FORD M23 🟥⬜E.FITTIPALDI⬜🟥 🔲🔲🔲全15戦🔲🔲🔲 【出走】15回【PP】2回 【優勝】 3回【FL】0回 エマーソン 2度目のチャンピオン
231120 E.FITTIPALDI 5 1/43FW12C
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1982 5TH SPARK McLAREN MP4/1B N.LAUDA〖🏆2〗
2年ぶり復帰のニキ・ラウダ 混戦の1982年2勝 McLAREN MP4/1B 1979年末に突如引退したラウダ 1982年マクラーレンで電撃復帰 チームメイトはジョン・ワトソン 当初復帰に関してはマクラーレン側も ブランクや怪我の後遺症を考えて 開幕戦から4戦目までのスポット契約 開幕戦南アフリカGPで4位入賞すると R3アメリカWESTで予選2位より優勝 ファステストラップも記録 この年の3番目のウイナー(全11名) その後R10イギリスGPで2勝目をあげ チームもワトソンと合わせ合計4勝 ラウダの復帰と共にマクラーレンも 復活を印象づけるシーズンとなった モデルはスパーク 台座はMP4-1BとなっているがMP4/1Bの間違い ラウダの復帰初勝利となった R3アメリカWEST GP使用 予選2位→決勝WIN Marlboroデカール加工をしてあります 1980年以降のマクラーレンで ミニチャンプス唯一発売していないのが 1982年のマクラーレンMP4/1B
231104 N.LAUDA 1982 1回FW12C
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1973 19TH SPARK (WILLIAMS) ISO-Marlboro FX3B H.GANLEY
ウイリアムズF1の前身Iso-Marlboro ハウデン・ガンレイ F1ラストポイント ウィリアムズF1の前身である フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは イタリアのスポーツカーメーカーのイソと フィリップ・モリス社がスポンサーとなり 1973年Iso-Marlboroのマシンを投入 ハウデン・ガンレイはニュージーランド出身 1971年・1972年はBRMでF1出場 オートスポーツ誌に掲載する写真撮影のため 許可なく他チーム(ポリトイ)を走行させたことで 原因でBRMを解雇されIso-Marlboroに移籍 Iso-Marlboroはシーズン通して9名の ドライバ―をエントリーしたが ガンレイのみがフル参戦 R14カナダGPでこの年唯一の6位入賞 キャリア最後の5度目の入賞 ガンレイは翌1974年にマーチで2戦エントリー 後半戦で日本のチームMAKIから参戦するも 決勝進出はできなかった モデルはSPARK Marlboroデカールが別で添付で貼り付け 独得な3色のカラーリング Iso-Marlboroの活動は翌1974年まで
231019 H.GANLEY 1973 21FW12C
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1999 5TH HOT WHEELS FERRARI F399 M.SCHUMACHER〖🏆2〗
ミハエル・シューマッハ骨折で欠場も 終盤2戦に驚異の復活 FERRARI F399 1999年ミハエル フェラーリ4年目 チームメイトはエディー・アーバイン R3サンマリノR4モナコで連勝 シーリーズをリードするも M・ハッキネン(マクラーレン)に 逆転され迎えたR8イギリスGP 予選2位より決勝開始直後 赤旗が 出ている中チームによる伝達も遅れる中 リアのブレーキトラブルでタイアバリアに 直角に突っ込み右足を骨折で長期離脱 残りシーズン欠場も噂されたが R15マレーシアGPで予選PPで復活 決勝はチャンピオン争いのアーバインに 譲り自身は2位表彰台で驚異の復活 最終R16日本GPもPP獲得 決勝はアーバインにタイトルは獲得 させることはできなかったが フェラーリの1983年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に貢献 モデルは HOT WHEELS 台座をミニチャンプス仕様に載せ替え Marlboro仕様に変更しています こちらはMuuseoでもお馴染みの 大阪なんばにある アダムスキー (当時サイケデリア)で2008年9月に購入
230920 M.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
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1975 (38TH) SPARK WILLIAMS FW03 D.MAGEE
F1通算1戦限りの決勝 ダミアン・マギー WILLIAMS FW03 ダミアン・マギー イギリス(北アイルランド)出身 1975年R7スウェーデンGPで 離脱したA・メルッザリオの代わりに 急遽フランク・ウイリアムズから出走 チームメイトもレギュラードライバーの ジャック・ラフィーの欠場の代役で イアン・シェクターがエントリー マギーは予選を22位で通過 決勝はトップから2周遅れの14位完走 翌年1976年にRAMでエントリーも予選落ち マギーがF1での出場はこの1戦限り 当時のフランク・ウイリアムズは資金難で スウェーデンGPでは マギーのマシンのウインドスクリーンを グレーのテープで補強しており モデルでも再現されている
230827 D.MAGEE 1975 20FW12C
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1980 11TH SPARK McLAREN M29 J.WATSON
マクラーレン2年目ジョン・ワトソン チームも不振 McLAREN M29 1980年ワトソンはマクラーレン残留 チームメイトは新人アラン・プロスト 開幕戦・R2とプロストに予選で敗れ 決勝もプロストが連続入賞の中 リタイア・11位と苦戦を強いられる R4アメリカWESTでは決勝4位入賞も R6モナコでは自身初の予選落ち ワトソンの生涯2度の予選落ちは いずれもモナコ(1980年・1983年) しかしながら初入賞もモナコ(1974年) 初のPPもモナコ(1977年)でもある R13カナダでシーズン2度目の4位 プロストに1ポイント差で年間上回り この年6ポイントで並んだ5名の ドライバ―の上から2番目の年間11位 翌1981年プロストがルノーに移籍の中 マクラーレンに残留 チームに久々の勝利をもたらす
230811 J.WATSON 1980 7FW12C