-
1988 4TH SPARK BENETTON B188 T.BOUTSEN (GP CANADA)
🗞️2024年10月24日 1982年東京に初出店したイタリアの ファッションブランド ベネトンが 日本市場からの撤退を発表 ブーツェン キャリアベストシーズン 6度の表彰台 BENETTON B188 ベネトン2年目のブーツェン チームメイトはアレサンドロ・ナニーニ 翌1989年からのターボエンジン禁止に先駆け エンジン製作のコスワースはベネトンに 自然吸気エンジンを搭載した DFZの改良モデルとなるDFRを独占供給 ブーツェンは6度の3位表彰台 ベルギーGPは後に失格となったが 6回の表彰台の内5回がマクラーレンの 1位セナ 2位プロスト+3位ブーツェンの順位だった ブーツェンはキャリアベストのシーズン4位 翌1989年はウイリアムズに移籍 モデルはSPARK タバコCAMEL貼付 R5カナダGP仕様 予選7位→決勝3位 ミニチャンプスのモデルでは無かった B188の特徴でもある前後ウイングを 支えていたワイヤーも再現されている https://muuseo.com/FW12C/items/416
241025 T.BOUTSEN 1988 20FW12C
-
1989 9TH PMA(kyosho) TYRRELL FORD 018 J.ALESI (GPJAPAN)
アレジF1鈴鹿 初参戦 オートバックス TYRRELL 018 1989年R9フランスGPティレルより F1初参戦のジャン・アレジ 国際F3000のタイトル優先の為 2戦欠場して迎えたR15日本GP チームメイトはジョナサン・パーマー アレジは予選苦しみ18番手 決勝も37/53周目にギアボックスが 不調でリタイアとなった この後アレジはトータル13回 日本GP(鈴鹿)に出場 最後のレースも2001年の鈴鹿であった 日本GPは1974年に1号店がオープンの カー用品専門店オートバックスが スポットスポンサー オートバックスは1991年にブラバム またスーパーアグリもサポートした モデルはミニチャンプス kyosho別注モデル 日本GP仕様 タバコデカールCAMELを追加貼付 ブルー/イエロー/オレンジの 資金難もあり派手な3色カラーモデル 👇1989年フランスGP デビューモデル https://muuseo.com/FW12C/items/293?theme_id=30778
240704 J.ALESI 1989 1.008FW12C
-
1988 (18TH) SPARK LARROUSE LOLA LC88 Y.DALMAS
ラルース2台体制 ヤニック・ダルマス 日本GP欠場で… LARROUSE LOLA LC88 1988年 参戦2年目のラルースは 2台エントリーとなり 前年度終盤3戦で スポット参戦したヤニック・ダルマスを起用 チームメイトはフィリップ・アリオー ダルマスは当時フランスの若手ABCD (アレジ ベルナール コマス ダルマス) と呼ばれた中で1番最初のF1シート獲得 R2サンマリノGPから3戦連続完走 R5カナダGPは予選落ちしたものの R6アメリカGPから5戦連続完走 ポイント獲得はならなかったが 決勝でP・アリオーを上回る成績 R15日本GPを前に中耳炎を患い欠場 翌年ザグスピードからデビューの決まっていた 鈴木亜久里が急遽の出場となり レーシングスーツはダルマスの物を着用 予選20位→決勝16位完走 R16最終オーストラリアGPも欠場 同郷フランスのピエル・アンリ・ラファネルが 起用されたがこちらは予選落ちしている モデルはスパーク R3モナコGP仕様 予選21位→決勝7位 チームのシーズンベストリザルトタイ この後同じく公道サーキットの R6アメリカGP デトロイトでも決勝7位 ポイント獲得に一歩届かなかった コックピット回りにタバコスポンサー CAMELのデカールが別添えで貼り付済み
240129 Y.DALMAS 1988 29FW12C
-
1989 14TH+α SPARK TYRRELL 018 J.HERBERT
ベネトン解雇のジョニー・ハーバート 2戦限りのティレル018での参戦 1989年ケガの影響もありベネトンを 途中解雇されたJ・ハーバートは ティレル途中加入のジャン・アレジの 国際F3000の参戦による欠場の2戦を 代役としてエントリーした モデル仕様のR11ベルギーGP 予選16位は TMのジョナサン・パーマー(21位)を上回るが 決勝は3周目にスピンしてリタイア この代役は急遽の決定であった為 ハーバートのレーシングスーツは ベネトン時代のグリーンのままであった もう1戦のR13ポルトガルGPは予選落ち この年復帰のポスルズウェイトが手掛けた ティレル018は隠れた名車とも言われており 翌1990年のR2ブラジルまで使用され このマシンに乗った5人のドライバ―の内 ハーバート以外は全てポイントを獲得している ティレル018ドライバ―別成績 M・アルボレート 6戦 6ポイント J・パーマー 15戦 2ポイント J・アレジ 10戦 14ポイント J・ハーバート 2戦 0ポイント 中嶋悟 2戦 1ポイント #F1-1989年 #Tyrrell
J.HERBERT 4 1/43 CAMELFW12C
-
1988 (26TH) SPARK TYRRELL 017 J.BALLEY
ジュリアン・ベイリー イギリス出身 1987年国際F3000ランキング8位ながら イギリスGPブランズハッチでの優勝もあり 1988年持参金と共にティレルよりデビュー TMはJ・パーマーのイギリス人コンビ ティレルでは珍しい黒がベースカラーの ティレル017は前年度のDG016を 引き継いだがダウンフォース不足が 露呈し苦しいシーズン 新人のベイリーは16戦中10回の予選落ち R6アメリカGPの決勝9位が最高位 モデルのR8イギリスGPは 予選24位→決勝16位 リアウイングにはスポットスポンサーで イギリス最大の原子力事業会社の CAVENDISHがサポートしている ベイリーは日産でスポーツカーレースに参戦後 1991年にロータスで4戦のみF1復帰します #TYRRELL #1988
J.BAILEY 4 1/43 CAMELFW12C
-
1988 (35TH) SPARK LARROUSSE LOLA LC88 A.SUZUKI
1988年R15日本GP 鈴鹿 鈴木亜久里のデビューモデル 翌年ザグスピードでの参戦が決定していたが Y・ダルマスの病気欠場で急遽スポット参戦 (レーシングスーツはダルマスのものを使用) 予選20位→決勝はスピンもあったが16位完走 これ以降ラルース(ローラ)と 日本人ドライバ―との関係ができ 鈴木亜久里(90.91年)片山右京(92年)のレギュラー参戦 鈴木利男(93年)野田英樹(94年)のスポット参戦と 4人の日本人ドライバ―がF1デビューしています 日本人のデビューを切り開く きっかけとなった1台かもしれません #1988
A.SUZUKI Racing on 29 1/43FW12C
-
1988 (24TH) SPARK LARROUSSE LOLA LC88 P.ALLIOT
#1988
P.ALLIOT 30 1/43 CAMELFW12C
-
1988 14TH TYRRELL 017 JON.PALMER
#1988 #TYRRELL
JON.PALMER 3 1/43 CAMELFW12C
-
1988 10TH BENETTON FORD B188 A.NANNINI
#1988
A.NANNINI 5.555 19 1/43FW12C
-
1989 13TH ONYX LARROUSSE LOLA LC89 M.ALBORETO
ティレル離脱でラルース移籍 ミケーレ・アルボレート LOLA LC89 1989年資金難のティレルは フランスGPよりタバコブランドCAMELの スポンサーを獲得 これに伴い個人Marlboro契約ドライバーの ミケーレ・アルボレートはMarlboroとの 契約を破棄してチームに残るか チーム離脱するかを迫られた アルボレートはフェラーリ時代からの Marlboroに恩義がある為チーム離脱を決断 しかしラルースからの熱烈なオファーを受け 結局はMarlboro個人契約を破棄して CAMELスポンサーのラルースに加入 R9ドイツGPより予備予選からの参加となり 序盤は予備予選は通過も決勝レースは苦戦 5戦中完走はR13ポルトガルの11位のみ 終盤3戦は予備予選落ち2回 予選落ち1回 この間にチームメイトのP・アリオーが この年唯一のポイントを獲得した アルボレートは翌1990年は フットワークのスポンサーのアロウズに移籍 モデルはONYX CAMELのデカールが元々貼られているモデル ONYは LOLA LC89はアリオーと アルボレートの2人のラインナップ発売 パッケージにスポンサー各種が印刷
M.ALBORETO 1989 29 1/43FW12C
-
1992【WORLD CHAMPION】PMA WILLIAMS RENAULT FW14B N.MANSELL〖🏆9〗
#1992 #WILLIAMS #WORLDCHAMPION #F1
N.MANSELL 5 1/43 CAMELFW12C
-
1991 14TH PMA BENETTON FORD B191 M.SCHUMACHER
#F1-1991年
M.SCHUMACHER 19 1/43 CAMELFW12C
-
1989 (31ST) SPARK LARROUSSE LOLA LC89 E.BERNARD
エリック・ベルナール F1デビュー 地元 フランス初完走 LOLA LC89 エリック・ベルナール フランス出身 当時のフランス若手ABCDの一人 A アレジ B ベルナール C コマス D ダルマス 1989年国際F3000 3位(1勝) (チャンピオン アレジ 2位コマス) 1989 R7フランスGP ラルースが不振のY・ダルマスの代わりに ベルナールを起用しF1 デビュー 予選15位→決勝11位完走 翌R8ドイツGP 予選13位→決勝 リタイア ラルースはティレルを解雇され タバコスポンサー関連の問題がクリアに なったミケーレ・アルボレートを起用 この年ベルナールは国際F3000に専念 翌1990年はラルースの レギュラーシート獲得 鈴木亜久里のチームメイトとなる 304
E.BERNARD 1989 29 1/43FW12C
-
1989 29TH SPARK LARROUSSE LOLA LC89 P.ALLIOT
F1史上最多29名ドライバー入賞 29位 フィリップ・アリオー LC89 1989年 ラルース3年目のP・アリオー チームメイトは3名 ヤニック・ダルマス エリック・ベルナール/ミケーレ・アルボレート アリオーは開幕戦 ブラジルGPでの 決勝12位完走以外 前半戦はすべてリタイア チームでもベルナールの11位が最高位となり ラルースは後半戦は予備予選組に回る R14スペインGP 予備予選はぎりぎりの4位で通過 予選は予備予選より約3秒タイムを更新 キャリアベストとなる 予選5位を獲得 決勝は粘りの走りで6位入賞 この年唯一となるラルースでの貴重な1Pを獲得 シーズン1Pのドライバーは4名 26位≪7位≫O・グルイヤール(リジェ) 27位≪7位≫G・タルキーニ(AGS) 28位≪8位≫L・ペレス・サラ(ミナルディ) 29位≪9位≫P・アリオー(ラルース) アリオーはポイント以外の最上位≪9位≫は 4名の中で最下位となり年間ランキングは29位 (1989年当時は26位タイとされていた) 29名のポイント獲得はドライバーは 現在まででF1史上歴代最多人数であった モデルはスパーク R14スペインGP タバコCAMEL仕様 予備予選4位→予選5位→決勝6位 この年初のエンジン供給となった ランボルギーニエンジンの 初ポイント獲得のGPでもあった
P.ALLIOT 1989 30 1/43FW12C
-
1989 28TH SPARK MINARDI M189 L.P.SALA
ミナルディ 奇跡の予備予選回避 ルイス・ペレス・サラ MINARDI M189 ルイス・ペレス・サラ スペイン出身 1987年 国際F3000 ランキング2位 この時のチャンピオンはS・モデナ 1988年よりミナルディでF1参戦 1989年は参戦2年目 チームメイトはピエロ・ルイジ・マルティニ 前半R7戦目までにサラは2度の予選落ち 決勝もマルテニを含めすべてリタイア 当時上位13チームに与えられる 予備予選免除の危機にあった 前半最終R8イギリスGP 予選15位よりサラは混戦を生き残り 6位入賞はマルテニ5位のダブル入賞 この3ポイント獲得でコンストラクター オニクス2ポイント上回り 前半最終戦で 奇跡の予備予選組を回避した サラのF1での入賞はこの1度限りで 1989年でF1での活動は終了 1988年までは近年でF1にエントリーした 最後の女性ドライバ―である ジョバンナ・アマティと 婚約状態であったがその後解消 2012年にはスペインのF1チーム HRTのチーム代表になった 🏁ルイス・ペレス・サラ (スペイン) 【決勝出走数】26回(入賞1回) 【予選最高位】 9位 1989年 MINARDI R13ポルトガル 【決勝最高位】 6位 1989年 MINARDI R8イギリス
L.P.SALA 24 1/43 CAMELFW12C