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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 "TOWER WING″ D.HILL〖🏆1〗
1998年のグッドイヤー勢のジョーダンは レギュレーション変更のグルーブドタイヤや ナローボディ化など対応に遅れ前半苦戦 タワーウイングを導入したものの 効果のほどは分からずに低迷した メインスポンサーである ベンソン&ヘッジスはイギリスのタバコブランド 古くからしたイギリス王室御用達に認めら パッケージに王室の紋章が印刷されていた 日本では1982年に廃番となり 通常では入手が困難なタバコ また1997年に開幕戦で撤退した ローラのメインスポンサーであった マスターカードは1998年は ジョーダンチームをサポート モデルのタワーウイング仕様は 下位のティレル・プロスト・ザウバーが 限定数2.222に対してジョーダンは3.333 フェラーリはアーバイン車が3.333 ミハエルはその3倍の限定数9.999個
230508 D.HILL "TOWER WING″ 3.333FW12C
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1998 10TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 R.SCHUMACHER
ラルフ・シューマッハ ジョーダン2年目 ジョーダンチーム史上唯一1・2フィニッシュ 1998年ラルフはジョーダン2年目 チームメイトはデーモン・ヒル 前年度はジャンカルロ・フィジケラと 同士討ちするなど不仲とされたが ヒルとは本人がチームメイトに 切望するほど良好な関係だった模様 前半はまさかのノーポイント デザイナーのゲイリー・アンダーソン離脱 後任のマイク・ガスコインに代わり フロントウイング周辺中心に修正 R9イギリスGPから3戦連続入賞 R13ベルギーでは特有のスパ ウエザーで 荒れたレースを2位表彰台獲得 ヒルと共に1・2フィニッシュを決めた ジョーダンの1・2フィニッシュは このGPがチーム史上唯一の出来事 続くR14イタリアも3位で連続表彰台 この後翌1999年シーズンの ウイリアムズへの移籍が発表された ラルフ・シューマッハ コレクションの 黄色いオリジナル台紙のモデルで タバコブランドBENSON&HEDGES仕様 #1998年
230309 R.SCHUMACHER 10 1/43FW12C
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1997 8TH PMA JORDAN PEUGEOT 197 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダン移籍 初ポイント・初表彰台・初FL JORDAN 197 G・フィジケラはミナルディからジョーダンへ ラルフ・シューマッハと24歳・21歳の若いコンビ R3アルゼンチンで同士討ちで早くも関係悪化 R4サンマリノGPで予選6位→決勝自身初入賞4位 フィジケラの通算入賞回数は73回 R6スペインで初ファイナルラップ R7カナダで3位 R12ベルギーで2位 表彰台2回獲得 通算表彰台は19回 R10ドイツGPでは予選2位から G・ベルガー(ベネトン)と高速バトルで 優勝を争ったも結果はパンクで最終11位 この年ジョーダンはスポンサーの B&Hの意向もあり鮮やかなイエローに変更 チームが終了する2005年までこのカラー継続 戦闘機のノーズアート風のグラフィックで ノーズコーンをスネークヘッドに見立てた カラーリングが注目された遊び心ある1台
221104 G.FISICHELLA 1回 12FW12C
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2002 15TH PMA JORDAN HONDA EJ12 T.SATO
佐藤琢磨 日本GP 鈴鹿 5位入賞 チーム・ピット・観客 大歓喜 2001年イギリスF3王座・マカオF3ウイナー 2002年のF1デビューはジョーダンHONDA チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ フィジケラが4度の入賞も 琢磨はノーポイントで迎えた最終戦日本GP鈴鹿 直前まで5戦連続完走と流れは良くなっていた 予選はB・A・Rを含めたHONDA勢の中でトップの7位 決勝はファンの期待を背に受けて 最終J・バトン(ルノー)とのバトルを制し それまでの鬱憤を晴らす5位入賞 日本人の鈴鹿入賞は1990年以来12年ぶり 2年間の日本人ドライバ―空白もあり 鈴鹿は歓喜に包まれた
221009 T.SATO SUZUKA LEGEND 1.000FW12C
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1996 11TH BBR JORDAN PEUGEOT 196 M.BRUNDLE
マーティン・ブランドル ラスト イヤー ジョーダンで参戦 1996年ジョーダンはタバコブランド BENSON & HEDGESがスポンサー カラーリングも一新された BBRのモデルは開幕戦の オーストラリアGP仕様(予選19位→決勝R) ベージュ色がベースのカラー PMAの通常版は後半戦仕様で ゴールドのカラーが強くなった 画像5枚目はチームセットモデル この年のみのカラーリング ブランドルの1996年は表彰台無し 最高位は決勝4位 年間11位 8P TMのバリチェロは14P 年間8位 次年度 残留希望もかなわず F1からは37歳で引退 結果的に最終戦R16日本GP鈴鹿が 自身最後の39度目の入賞決勝5位 盟友マーク・ブランデルとは 奇しくも生涯の予選最高位が 1993年リジェR8フランスで同じGP ブランドル3位 ブランデル4位 🏁マーティン・ブランドル(イギリス) 【決勝出走数】 150回(入賞39回-表彰台9回) 【予選最高位】 3位 1993年 リジェ R8フランス 【決勝最高位】 2位(2回) 1992年 ベネトン R13イタリア 1994年 マクラーレン R 4モナコ #F1-ラスト #F1-1996年
M.BRUNDLE 12 1/43 BENSON & HEDGESFW12C