戦争って? の続き、戦争と宗教
初版 2022/12/04 11:28
「戦争って?」のつづき。
ここからのお話は、あくまで独善的な個人の考えです。異論、他論が有るのは重々承知しており、また、宗教を否定するものでもありません。他者を認め合い、平和な未来を願う思いとして受け取って頂ければ嬉しく思います。
さて、本題に戻って、倫理観ってなんでしょうか?
難しいのはここで、人類にとって倫理観は一つだけではないと言う事なんです。
欧米の倫理観、アジアや日本人の倫理観、アラブの倫理観、アフリカの倫理観、みんな同じじゃない!これが衝突の大きな原因になる事が数え切れない程あります。
現代の衝突=戦争は、実はこれに根差したものが少なくない様に感じます。
そして、この倫理観の違いを生んでいる大きな原因の一つが、宗教に根差したものであると私は考えています。人類の歴史を見ても宗教が原因の戦争(十字軍は端的な例)や紛争は数えきれません。
人々を救うためにある筈の宗教が戦争を引き起こす。究極のパラドックス、なんという皮肉なのでしょうか。
多くの宗教は他の宗教を受け入れない!これが全ての元凶と言っても良いと考えます。
欧米を中心に発展を遂げてきた自由主義の世界。寛容を是とする自由主義の世界でさえ、精神の奥底に根差す相容れない宗教の壁は今も脈々と人々の心を手放そうとはしません。
「寛容性」宗教が一番変わらなければいけないのはこの事に尽きます。他の宗教の教えを認め合う事こそ最も必要な変革だと思います。
残念ながら、今も宗教は根深い対立を生み出し続けているのです。
ここで一つ提案です。『人類は、日本人を見習う事を勧めます。』
皆さん、「突然何を言っているの?」と思われますよね。
日本人は宗教に縛られていない人がとても多い、世界的に見て珍しい民族だと思います。(もちろん宗教にどっぷりの人もいますが)
日本には元々神道が有りますが、仏教も広くいきわたっています。と言ってカトリックとプロテスタントの見分けも付かないレベルでキリスト教に対して排他的ではありません。早い話、他の人がどんな宗教を信じているかなんて大して気にしていないのです。もっと言えば宗教にさほど興味がない、私を例にすると、困った時に「神様!助けて!」とか、「神様!お願い!」とかと手を合わせるのだけれど、具体的なイメージが有る訳では無く、漠然とした、自分の中にいる神様に手を合わせているように思います。
世界における一般的な宗教のイメージとは違うのです。ゆえに、他の宗教と対立する事も無く自然体で受け入れてしまっているのです。
無宗教の民は他の宗教にやさしい人たちなのです。
分かり易く言うとこうです。
12月25日にはキリストの誕生を祝いクリスマスで盛り上がり、12月31日の大晦日には仏教のお寺の除夜の鐘を聞きながら行く年を惜しみ、次の瞬間の1月1日をには新年を祝い、神道の神社に初詣をする国民なのです。たった一週間のうちに起こっている国民的行事です。宗教に対する壁は極めて低いのですね。
なぜこんな民族になったのでしょうか?
答えはこんなところにあるのかもしれません。
多くの私たち日本人は、「生まれた時」は神社でお宮参りをして人生をスタートさせ、「死んだ時」には、お寺で葬儀の法要をしてもらって、お墓に入ります。
こんな民族はめったにありません。宗教に対してはおおらかこの上ない人達なのです。
この日本人の宗教に対する「寛容さ=おおらかさ=いい加減さ?」を見習ってもらえば、少しは平和に近づけるのではないでしょうか?