さすが金持ち! ~ 重要文化財 西園寺公望(さいおんじきんもち)別荘「坐漁荘」
初版 2024/08/20 21:51
改訂 2024/10/04 20:56
以前見た2丁目をすっ飛ばし、明治村3丁目にやって来ました。明治の元老、西園寺公望の別荘「坐漁荘」のガイドをこれから受けます。
坐漁荘は大正9年(1920年)、静岡県興津(おきつ)に建てられた西園寺公望の別荘です。昭和45年に解体され、昭和46年に明治村に移築されました。
坐漁荘が興津に建てられていた頃の写真です。
設計は住友本社(公望の実弟、住友友純が住友財閥総帥である関係です)の建築技師・則松幸十が行い、京都から大工を呼び寄せ建てられました。建築費用も友純が支払ったそうです。
非公開の部屋を見学させてもらうガイドツアーは時間が決まっており、私もその時間に合わせてこの玄関に集合しました。でも集まったのは私だけ。一人のために説明してもらうのは何となく心苦しいです(^_^;)。
「坐漁荘」の扁額です。渡邊千冬子爵の提案により名付けられたこの建物。千冬は隷書の達人でしたから、本人の揮毫かもしれません。「坐漁荘」とは太公、望呂尚(「太公望」として有名です)が「茅に坐して漁した」という故事にちなんだもので、「座ってゆっくり魚を捕る」という意味が込められています。私の勝手な想像ですが、「坐漁荘」とは「公望(きんもち)」と「太公望」を掛けて付けられた名称だったのではと思っています。政界引退後、公望がのんびりと生きる場所として命名されたということでしょう。しかしながら、引退後も公望の元には政局に対しての相談を求める政治家の来訪がしばしばありました。セキュリティに関してあちこち気を使っているこの建物を見ると、公望の気苦労も多かったのだろうと思わされます。
さて玄関から上がり、一階の西園寺公望の書斎です。
虚飾を排したとてもシンプルな造りです。縁側も明るくていいですね。
この文机で仕事していたのでしょう。縁側でスイカを食べることもあったかな?
書斎から臨む名人「七代小川治兵衛」作の庭です。
ガイドの方が一階の壁の一部を開けて、耐震構造がなされていることを説明してくれました。金属製の筋違が入れられています。大正時代の建築としては非常に先見性に富んでいますね。
広い浴室。板張りの壁で暖かみがあります。こちらもとても明るいです。右の扉は物騒ですが、緊急事態の際の外への避難口。窓は竹の格子になっていますが、実は竹の中に鉄が仕込まれていて簡単には侵入できません。
小さいながらも出来の良い檜風呂。
竹を用いた船底天井。これなら天井から水滴が落ちてきても冷たくないですね。
「なぐり」を入れた風呂入口の床板。色と木目からは栗材でしょうか。段差のないバリアフリーの造りになっています。
脱衣所の洗い場も木製!ここでも竹が大活躍(笑)。
廊下の竹の網代天井。公望は本当に竹が好きです。
二階に上がりました。
欄間としては珍しい作り。
というのも、桐材の間に竹の節(矢印部分)を挟んでいるのです!
二階縁側からは美しい入鹿池を臨めます。興津にあった頃はのどかな砂浜が見えていたことでしょう。
この床の間の書幅は公望が亡くなった昭和14年、唐時代の韓退(768~824)の詩を揮毫したもので、彼の絶筆と言われています。
西園寺本人も琵琶を弾いたとのことですが、琵琶床があります。
昭和に入り作られた二階応接室。坐漁荘唯一の洋間です。
二階の窓を開けると玄関前が見え、誰が訪ねて来たか一目瞭然の造りになっています。
二階から眺める坐漁荘の瓦屋根。奥に幸田露伴の「蝸牛庵」が見えます。
一階台所。大正時代にアイランドキッチンとは大変進んでいたのではないでしょうか。
機能性も高そう。
一階の襖。奥の濃い色のものがオリジナル。手前の薄いいろのものがレプリカです。
左オリジナル、右レプリカです。雲母を使ったようにキラキラしています。
和風の家ですが、基本的にバリアフリーの造りになっています。あちこち先進的なのに感心します。
竹が大好きだった西園寺らしい、引き戸の竹の取っ手。
竿縁天井ですが、竿はやはり竹です(笑)。
それぞれの部屋には公望が女中さんに用を告げるボタンがあります。ガイドさんのお話では、「興津にこの建物があった頃は、廊下から敷地外に逃げられる秘密の地下通路があった」そうです。二・二六事件を経験した公望ならではのお話ですね。
押した部屋がすぐ分かる女中室前のパネル。この場合「1の洋間で呼び出しがあった」ことが分かります。昭和中期の住宅よりよほど進んだシステムになっていますね。
玄関の杉の皮を張って竹を模したこの障子紙は、複雑過ぎてレプリカを作れずオリジナルのままだそうです。しかも襖の縁がこれまた竹です(笑)。
瀟洒な裏玄関。
玄関内に置かれている等身大の西園寺公望です。一度も正式に結婚せぬまま何人かの子供がいました。若い頃の10年間のフランス生活で何かあったのでしょうか?
坐漁荘、贅を尽くした印象はありませんが、公望の好みが色濃く感じられました。美しく機能性も高い素晴らしい住宅でした。
1990年3月に行ったロンドンで、初めてエドワードグリーンのドーバーを購入しました。以来、ここの靴の虜になりました。質の良いしっとりとしたカーフ、美しい木型、無い物ねだりと分かりながら、この時代のエドワードグリーンの靴を今も追い求めてしまいます。
他に古い靴も修理して履いています。特に戦前の英国靴は素晴らしいと実感しています。
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fanta
2024/08/21 - 編集済み太公望から公望へ…
なるほどwそう思わせる可能性大!ですね。
昔の人は、いにしえの何らかを引用してネーミングしますもんね😁
目の前の海の景色♪
そして庭作りに小川治兵衛さん…なんて典型なのだと思っちゃいました。
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グリーン参る
2024/08/22fantaさん
小川治兵衛、いいですよね。
私は南禅寺、仁和寺の庭を見た記憶があります。坐漁荘は庭も建物も一流ですが、竹が好きな公望の好みを設計者が実に巧く調整していました。
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レLEGOの日記
2024/08/21 - 編集済みガイドツアー1人じめ、最高じゃないですか?
質問し放題だし、ガイドさんと仲良くなると普段は教えてくれないことまで教えてくれることがあるし😁
いいなぁ〜😆
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グリーン参る
2024/08/22私一人だとガイドさんのテンションが下がらないか、それが心配でした。でもお若い男性の方でしたが、気さくにいろいろ教えて下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
明治村に行ったらガイドさんの説明は聞くべきだと思います❗
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