「これなんぼや?」 ~ 明治以来の売立目録『東京美術市場史』

初版 2024/02/10 02:23

改訂 2024/10/13 06:04

今読んでいる本をご紹介します。

「東京美術市場史」。本屋さんでもます見掛けないですが、きっかけは…。

かなり以前(2010年)、美術館を作った明治の大富豪を特集した雑誌「東京人」を買いました。立志伝中の彼らがどのような情熱、意図を持って美術品を蒐集していったのかがわかり、とても充実した楽しい内容です。

国立西洋美術館の元になった「松方コレクション」の松方幸次郎。

大倉集古館の大倉喜八郎。

世界的な青銅器コレクション、泉屋博古館の住友吉左衛門。

大原美術館の大原孫三郎、三井の益田孝(鈍翁)。

そんな中、メインの特集の後に不思議な本の紹介がありました。それが…。

「東京美術市場史」です。

フランス文学者の奥本大三郎さんが紹介しています。どんな本か簡単に言いますと…。

確かに「美しさ」は数値化出来ないけれど、その時々の美術品の価値は「値段」である程度評価することが出来る~ということですね。

「名品の来歴カルテ」と言ったところでしょうか。とても面白そうに思え、ムズムズと手に入れて読みたい欲求が湧いてきました。

なるほど、実物の写真と売り立ての日時、価格、関係者等が詳しく記載されているようです。

しかし、昭和52年発行とかなり古い出版のうえ、発売時定価が50,000円と非常に高額なことから発行部数も少なそうです。あちこち探したのですが、これがなかなか見つかりません。ようやく「日本の古本屋」で一冊だけ発見することができました。

待つこと数日、やっと到着。立派な外箱付きで厚さ5センチ以上。大型の非常に重たい本です。

目次です。

売立では、現在国宝、重要文化財に指定されている美術品が数多く売り買いされています。

(左)仁清 色絵藤花文様壺 国宝 昭和6 189,000円 (右)曜変天目 国宝 167,000円 大正6 いずれも誰もが知っている名宝中の名宝です。

(右)那智瀧 国宝 85,600円 大正6 (左)虚空蔵菩薩 国宝 58,300円 大正14

(上)牧渓 遠寺晩秋 国宝 83,000円  昭和9 (下)梁楷 雪中山水 国宝 210,000円  大正6 

(上)清拙「墨跡」国宝 3,300円 (❗) 昭和5 (下)熊野切 重要文化財(現国宝) 29,900円  昭和9

(右)千鳥蒔絵手箱 国宝 130,000円 昭和10

御舟、玉堂、栖鳳、土牛ら超一流の日本画。みな10,000円以下です。

安田善次郎、井上馨、藤田傳三郎、益田孝、馬越恭平。錚々たる面々です。

戦後の入札出来高。

大正時代の古美術品番付。「片輪車蒔絵手箱」や「茄子茶入」が「曜変天目」より高かったんですね。書画では芸阿弥の山水図が横綱で、雪舟や周文より高いのも意外です。

九鬼隆一の売り立て。

島津家などの旧大名家の名前も。

有名な赤星弥一郎の売り立て。国宝の梁楷の「山水図」の文字も見えます。根津美術館の国宝「那智瀧」も赤星家から出ています。

室町時代から江戸時代の美術品価格表。

横山大観と川合玉堂。特にこの玉堂の「春峡」は素晴らしいです。それにしてもこの大観の「宇治川絵巻物」、大正14年は3,880円かぁ…。凄い時代でした。

1990年3月に行ったロンドンで、初めてエドワードグリーンのドーバーを購入しました。以来、ここの靴の虜になりました。質の良いしっとりとしたカーフ、美しい木型、無い物ねだりと分かりながら、この時代のエドワードグリーンの靴を今も追い求めてしまいます。
他に古い靴も修理して履いています。特に戦前の英国靴は素晴らしいと実感しています。

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    tomonakaazu

    2024/02/13 - 編集済み

    日本に集まった美術品というと、バブル期に税金対策のために企業が買ったんでしょ?みたいな見解を聞くことがありますが、それよりもずっと前に、本当に芸術に傾倒した人たちが集めたコレクションがその元にあるのですね〜〜。素晴らしいです。

    価格表と一緒に、当時と今の価値換算表も見たくなりますね。。

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      グリーン参る

      2024/02/13

      tomonakaazuさん、
      この本に登場する方々には、茶道をする上での茶器関係からコレクションを形成した方と、純粋に美術品を集めていた方に二分されます。当時の茶器から入る方は「茶会」というステイタスを誇示する側面が見え隠れして、ちょっと私は苦手ですが(笑)。
      大倉喜八郎は画像にもある通り、国内の名品が海外に流出しそうになった際それを阻止するのに、美術品を「船一艘買い」して守ったという逸話もあります。井上馨も国内の美術品を買い集め、「フェノロサが来たら井上が全部買っていったと言っておけ!」と古物商に言い残したという話も残っています。鹿鳴館政策も欧米に追い付くための「方便」だったということでしょう。明治の人達には「自分の国を守る」という強い意識が大なり小なり見え隠れします。

      ちなみに曜変天目茶碗の大正時代の167,000円は現在では1億8000万から2億に相当する価格だそうですが、実際売りに出されたら20-30億は下らないと思われます。

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