戸川純と蛹化の女のこと

初版 2018/04/10 15:35

改訂 2022/12/20 13:53

こんにちは、あゆとみです。


https://muuseo.com/spec9hepcat/items/62

戸川純 玉姫様 [Vinyls] | みんなのアナログレコードコレクション by Muuseo

https://muuseo.com/spec9hepcat/items/62

spec9th
月光の白き林で
木の根ほれば
蝉の蛹の いくつも出てきし
ああ ああ


それは あなたを思いすぎて
変わり果てた 私の姿
月光も 凍てつく森で
樹液すする 私は虫の女


クラシックの名曲として、あまりに有名なパッヘルベルのカノン。

多くの人が一度は耳にしたことのある、あの気高くも優美な旋律。

あの曲にこんなぶっ飛んだ歌詞をつけてしまう人は、古今東西、この人以外いなかったし、もう現れないだろう。


戸川純は、私の心の深いところに入り込んできたアーティストの一人だ。

この曲に至っては、ひょっとしたら今までで一番好きになった歌なのかもしれない。

墓場まで持っていきたいくらい好きな曲。そんな感じだ。


もっとも私は遅咲きファンで、以前から彼女の名前を聞いたことはあったが、実際に彼女のアルバムを手に取ったのは90年台前半に渡米した後になる。何がきっかけだったかは思い出せない。その頃までほぼ洋楽ばかり聴いていた私が、再び日本の音楽に目を向けた時期だった。

聴き始めるとなんでもっと早く聴かなかったんだろうと思った。

彼女の独自の世界観に目をみはったり、時にはその清々しいまでのかっ飛びぶりに大声で笑い出したり。

そんな中、初めて蛹化の女(むしの女)を聴いた時の衝撃といったらなかった。


冒頭のあたりは「あ、このメロディー知ってる。あの曲だよね〜」と言うノリで聴いていたが、すぐに「いや、これは全く別もんだぞ!?」と頭にアラーム・コールが鳴り響いた。


ん?樹液をすする?

ムシのオンナ?

今、ムシって言ったよね?

え、ムシってあの虫のこと?だよね?


ーと、こんな感じに耳をそばだてて、歌の世界を知ろうとしたものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=4X2_CvmtczU


戸川純の歌詞にはこんな風に「今、この人はこう歌ったと思うけど、空耳だったかもしれないから本当にああ言ったのかどうか確かめてみないと」と聴き直して、やはり空耳じゃないのだと感服させられることが良くある。

演劇経験が豊富で発声も確かな、滑舌のいい彼女の歌声を聴いてなぜに空耳を疑うかと言うと、曲調とはかけ離れた想定外なことをどんどん言ってくるからである。

耳あたりのいい馴染みの音楽とメロディーだと油断をしていると、今までに聴いたことのないような想定外の歌詞がぶっ込まれて、そのあまりのインパクトに曲が全く別物に変幻するのだ。例えばこの曲にしろ、さよならをおしえて(フランソワーズ・アルディの同名曲をカバー)にしろ、カバー曲に彼女がつける歌詞の破壊力は凄まじく、もはやオリジナルだと思うくらいだ。(「さよならをおしえて」についてはまたいつか取り上げたい。)


今回戸川純について書くにあたって、1987年発行の彼女の自著「樹液すする、私は虫の女」を読んで見た。作中にこの曲について彼女の言葉で簡潔に説明してあったので、紹介してみたいと思う。


深い想いと、目もくらむような永い時間。そして静寂。この三つだけしかなかったら、蛹になっちゃう、という曲。
死ではない(死も一つの事件だから)。
絶望の森で、死に酷似しつつ、なお生きている蛹になって、人間でいた時よりかずっと楽になった人のこと。(p.37-38 冒頭)


もう嫌だ。生きるの嫌だ。いっそ、蛹になってしまいたい・・・

そういう心理状態のこということだろう。

蝉の抜け殻状態、というならわかるが、蛹になるという表現は斬新だ。(もっともそれを言ったら、彼女の書く歌詞は斬新だらけなのだが。)

虫になった人間といえば、カフカの「変身」を思い出すが、これはまたずいぶんと様相の違う変身である。

自分の心身を守るための変身という視点は新しいし、なるほどとうなずかされる。

たしかに蛹になればいっぱい眠っていられるから楽かもしれないと思う。

成虫になったらまた活動しなきゃいけないから。

樹液をすすって、眠って。

そうだ。食べて眠る以上に効く失恋の薬、いや、心身の薬なんてないだろう。

静かな場所で、食べて寝る。目が覚めたらまた食べて、また寝る。

これを繰り返していけば、体は休まり、体が元気になってくると自然に心も浮上してくる。やがてはまた「生きたくなる」かもしれない。

起きてしまったことは限りなく悲しいけれど、それでも生き続けようとしているからこその蛹化とも受け取れる。


次に驚かされたのが、この部分だ↓


これも詞を書いてから、後でパッヘルベルのカノンにはまったカバー。(p.38)


つまりは、歌詞が先にできて、曲は後付けだったというのだ!

そうなるとやはりこれは、カバーソングではない。

オリジナルの歌詞が生まれたが、宿がない状態だったところに、ぴったりの宿を見つけることができた(ヤドカリのイメージ)。オリジナルとオリジナルのコラボってことになる。

創造性がすごい。やっぱりなんだか、すごい。


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この曲を聴いて思い出すエピソードの一つに、親友のMちゃんの失恋話がある。

普段は真夏に咲くひまわりみたいな、人生に起こる全てのことを笑いに変えて生きるような生命力に溢れた彼女だ。それが、当時大好きだった彼に想いが届かぬことを悟り、爽やかな夏の日に一人部屋に閉じこもっていた。

電話をしたら「朝からこの曲しか聴いてないの。何も考えられない。頭の中でね、カサカサになった死んだ虫の殻を指で一枚一枚、はいでいってるの。」ときたもんだ。

生粋の陽性娘がこんなことを考える精神状態になることもあるのだと驚く一方で、彼女の人間性にさらなる深みを感じて、より魅力的に感じた記憶がある。

程なくして彼女は復活。さらに一層パワーも増して、失恋の悲しみなんて何処へやら。のちに結婚することになる新しい彼氏と、見ているこっちが恥ずかしくなるようなラブラブっぷりをお披露目することになるのだが。

ただ、蛹化の女は今でも彼女にとって特別な一曲のようで、今でも時折、二人でこの曲の話で盛り上がることがある。


彼女が悲しみのどん底でこの曲を聴きたくなった気持ちはわかる。

この曲は悲しみを邪魔しない。悲しみにそっと寄り添ってくれる曲だからだ。

「がんばろう!」「立ち上がろう!」という応援歌が耳に届くうちは、まだ人の言葉に耳を貸す気持ちの余裕がある時だろう。

どん底まで落ちた時、他人の言葉ははるかかなたにこだまするノイズでしかない。

他人にはどうすることもできない、本人が自力で立ち上がるしか術がないほどの深い悲しみ。

絶望をそのまま受け入れて、見守ってくれる器のある曲。


蛹化の女は、戸川純の存在とともに、末永く後世に伝わって欲しいと願う、そんな特別な一曲なのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=-uxpylXf5fQ


https://muuseo.com/ymoo/collection_rooms/9#!page-2

<2品展示中>戸川純とyapoosのアイテム | Muuseo(ミューゼオ)

https://muuseo.com/ymoo/collection_rooms/9

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  • 私もこの曲が大好き。
    中学生の時、遅咲きガールを聞いてもっと戸川純を聞きたくなり、遅咲きガールが収録されてるレコードを借りたら、蛹化の女に出会いました。当時クラシックに疎い私はオリジナル曲と勘違いしてました。
    高2の給食の時間、何らかのクラシックが毎日流れるのですが、ある日カノンがかかり、そこで初めてカバーと知りました。ただコメントを読んで、そもそもカバーの概念が当てはまらない曲と知り、更に好きになりました。ありがとうございました!

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