第3回 全日本吹奏楽コンクール山形県大会
初版 2021/06/19 15:12
改訂 2021/06/19 15:17
日の発掘品は、1964年(昭39)9月13日に開催された「第3回 全日本吹奏楽コンクール山形県大会」のプログラムと入場券。
昭和37年に高校に入学した私は、中学校の部活がブラスバンドだったこともあって、高校でもブラスバンドをすることになった。ただ、当時のプラスバンドは部の名前さえないサークルで、実態は応援団付属の楽隊という感じだったです。真夏の太陽が照りつける中、当時は学校の近くにあった野球場まで楽器をリヤカーに乗せて運び、厳つい応援団がエールを叫ぶスタンドで、ひたすら「鳳嶺月峯」(当時は応援歌になっていた鶴岡中学校校歌)を演奏していました。
こんなことで良いはずがないと思っていた私は、2年生になって先輩諸氏の重石もはずれたこともあったのか、部の正式名称を考えるようになったのでした。当時は60年安保の時代、高校の教師も左と右に真っ二つに割れているような時代で、顧問の先生の立ち位置で部活の活動内容が左右されるような時代だったです。
周りを見れば、新聞研究会や映画研究会といった部活もあって、こういうサークルの顧問の先生は、どちらかというと左寄り?の雰囲気の先生たちが多かったです。ブラスバンドも顧問の先生が変わり、こんな周りの自由な雰囲気にも影響されたのか、喧々諤々の議論の末「吹奏楽研究会」という、当時のブラスバンドとしてはかなり尖った名前に決まったのでした。
そんな「吹奏楽研究会」は、研究成果?を確かめようと「全日本吹奏楽コンクール」にチャレンジすることになりました。コンクールは持ち回りで各地で開催されていたのですが、3年生の時の「山形県大会」は、たまたま鶴岡で開催されました。この未使用の入場券は、その時のものです。家族用だったのかもしれない。
この年「吹奏楽研究会」がチャレンジした自由曲は、リスト作曲(プログラムのリストンは誤記)の交響詩《前奏曲》 。これは、かなり難しい曲だったです。演奏時間が限られている関係で途中はカットしましたが、どこをカットするか(要は何処をカットしたか聴いててもわからないようにする)決めるのも楽しかったですね。時計を睨みながらの試行錯誤です。今なら、パソコンを使えば録音音源で簡単にシミュレーションできそう。
結果、「吹奏楽研究会」は、高校Bクラスで優勝。郡山で開かれる東北大会へ遠征(これが楽しかったですね)することになったのでした。東北大会の結果は第3位だったです。
こんな経緯で名前が決まった「鶴岡南高校 吹奏楽研究会」は、以降、毎年のように県大会で優勝、東北大会でも頻繁に入賞するようになり、2012年 (平24)には、ついに全国大会での入賞を果たしたのでした。
「鶴岡南高校 吹奏楽研究会」のコンクールでの入賞履歴は、Musica Bella の「吹奏楽コンクールデータベース」で知ることができます。
鳳嶺月峯
https://kakusho.net/%E6%A0%A1%E6%AD%8C/
1964年 (第3回) 山形県大会 高校Bの部
吹奏楽コンクールデータベース(団体名:山形県立鶴岡南高等学校)
http://www.musicabella.jp/concours/viewgroup/group:76
全日本吹奏楽コンクール東北大会 過去の金賞受賞団体
http://www.ajba.or.jp/tohoku/#gold
当時、オーケストラの曲を吹研用の編成にアレンジするのに参考にしたLP(私が持っていたわけではありません)があります。それが、ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団の「展覧会の絵」。
有名なラヴェルの編曲ではなくストコフスキーが編曲したものだったと思いますが、このLPを聴いて驚愕しました。オーケストラスコアがあるわけでもなく、どう楽器を組み合わせるとこういう音になるのか、全くわかりませんでした。
レオポルド・ストコフスキー
フィラデルフィア管弦楽団
https://w.wiki/3VMk
「展覧会の絵」を聴く10・・・・ストコフスキー編曲版1
http://www.numakyo.org/c_pic/10.html
「展覧会の絵」を聴く11・・・・ストコフスキー編曲版2
http://www.numakyo.org/c_pic/11.html
#思い出
mugen
様々なプログラミング言語を使って、音楽を自動作曲しています。
使用している言語
・awk
・COBOL
・JavaScript
・R
・サクラ
・ドリトル
・なでしこ
https://yamazawa.bandcamp.com/
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