DAFによる新たなダンス・ミュージックとその身体性
初版 2024/03/24 21:53
改訂 2024/04/06 06:29
また、有名どころが続きますが、今回は、DAF(通称「ダフ」)ことDeutsch-Amerikanische Freundshaft(ドイッチュ・アメリカニッシェ・フロインドシャフト; 独米友好同盟)を紹介します。もうグループ名からして、皮肉満載ですね。元々は、独Düsseldorfで、1978年にGabriel "Gabi" Delgado-López (Vo), Robert Görl (Drs, Perc, Electronics), Kurt "Pyrolator" Dahlke (Electronics), Michael Kemner (B), Wolfgang Spelmans (G)で結成されています。この時に、ジャムセッションした短いテイクを曲名も付けずにアルバムにしたのが、彼等のファーストアルバム"Produkt Der Deutsch-Amerinischen Freundschaft"になりますが、ここでは生々しい電子実験音楽的ロックの残留物が収められていますが、何か不完全燃焼を感じます。
その後、Kurt DahlkeがDer Planに加入する為、脱退し、代わりに、Chrislo Haas (Electronics, B, Sax)が 1979年に加入しました。1980年には、セカンド・アルバム"Die Kleinen Und Die Bösen 邦題は最初は「サイレント・ノイズ」でしたが、再発盤では「小物・悪者」でした)"を英国のMuteから出しています。なお、エンジニアはConny Plankが行っており、B面はConnyがリミックスしています。ここでは、もう少し曲っぽくなってきましたが、まだ、何かパッとしない演奏が収録されています。この時のメンバーは、Gabi Delgado (Vo), Worlgang Spelmans (G, Synth), Chrisro Haas (Synth, Tape, Sax), Robert Görl (Drs, Vo)となっています。ジャケはソ連(現在のロシア)のアスリートの表彰台で、皮肉たっぷりですね。
DAF "Die Kleinen Und Die Bösen"より、"Nacht Arbeit"
その後、メンバーの脱退等が続きます。SpelmansとKemnerは、1981年に脱退して、Mau Mauを結成し、独自のギター系NDWを作り始め、その翌年に、唯一のアルバム"Kraft"(後に、日本のSuzan Studioが2枚組として"Kraft + Auf Wiedersehen"として再発しています)を出しています。Mau Mauのメンバーは、Wolfgang Spelmans (Vo, G, B) Michael Kemner (B, Vo), Fred Heimermann (Vo, G, Synth), Lorenz Altendorf (Drs)です。
Mau Mau 1st album"Kraft"より、"Auf der Jagd"
既述のようにDahlkeはDer Planの頭脳として活躍していきます(別項参照)。Haasは、最初期Einstürzende Neubautenに在籍、Mania Dを結成するBeate BartelとのデュオCH-BBを経て、Liaisons Dangereuses(リエゾン・ダンジュルース)を結成、更には、Minus Delta TやCrime & The City Solutionにも関わっていきます(別項参照)。そうして残ったのが、Gabi(Vo)とGörl (Drs)だけで、もう駄目かと思われていたのですが、コペルニクス的発想の転換で、シーケンサーに生ドラムと客を煽りまくるヴォーカルと言う、余計な音を削ぎ落とした、全く新しいダンス・ミュージックを始め、英国Muteから3部作"Gold Und Liebe" (1981年作), "Alles Ist Gut" (1981年作), "Für Immer" (1982年作)を立て続けにリリースします。この3部作のジャケ写は、ゲイ的なエロティシズムと汗や筋肉によるマッチョな身体性を剥き出しにしたイメージが前面に出されている点も高評価された点だと思います。後に、Gabiが語ったところによると、Chrisro Haasが使っていたKorg MS-20シンセがとにかく良い音がして、Haasの使い方に影響を受けたとのことです。
DAF 3rd album "Gold Und Liebe"
DAF "Alles Ist Gut"
DAF "Für Immer"より"Kebab - Träume"
その中でも、1981年にリリースされたシングル"Als War's Das Letzte Mal"/"Der Mussolini"のB面"Der Mussolini"が世界中のディスコやクラブで大ヒットします。歌詞は、「ムッソリーニを踊れ!ヒトラーを踊れ!キリストを踊れ!」と言っていますが、政治的意図や宗教的意図は無く、単なる言葉遊びです。
Live version "Der Mussolini"
この頃に、DAFがConny Plankと共に初来日すると言われていたのですが、結局は実現せず、個人的にも大変残念でしたね。
しかしながら、1982年には、この2人体制のDAFは解散してしまうのですが、1985年には再結成され、その翌年には、新録アルバム"1st Step To Heaven"を出しています。しかしながら、以前のような熱狂は得られず、Gabiが2020年に他界してしまい、その翌年2021年のアルバム"Nur Noch Einer"でDAFは終結してしまいます(Gabiの亡骸を静かに見つめるGörlの図?)。
2人共、ソロ活動やDAF/DOSと言ったサブユニットでも活動していましたし、Gabiのソロアルバム等はラテン系ポップスみたいな内容でもあったようです。しかしながら、Görlは、最近になって「シーケンス・パターンはもう使い切ってしまった」とも吐露しています。それにしても、Muteからの3部作は、コペルニクス的発想の転換で、シーケンサーに肉体を同期させる事で、逆に肉体的と言うか身体性を現前化させた名盤であると思います。こう言う自由な発想と実践が可能であったのが、1981年前後にあったのだと思います。それと同時に、2人いれば、バンドは成り立つということも証明したことにも功績があると思います。ただ、彼等がその呪縛からは中々逃れられなかったのが少々残念なところかも知れませんね。