S.Y.P.H.、Canの再来とその後。(第2版)
初版 2024/03/23 08:52
改訂 2024/04/12 11:15
S.Y.P.H.
S.Y.P.H.(ジフと発音するらしい)と言う名前も、NDWを少し齧った方なら、聞いたことがあると思いますし、まだ、元CanのHolger Czukayのファンの方もひょっとして知っているかもしれません。と言うのも、彼等は、デビュー当時、「Canの再来」と言われており、実際に元CanのHolger Czukayのソロアルバムにも参加しているからです。
S.Y.P.H.は、独ゾーリンゲンで、1977年に、Harry Rag (Vo, G: ハリー・ラグ: 本名:Peter Braatz), Uwe Jahnke (G; ウーヴェ・ヤーンケ), Thomas Schwebel (トーマス・シュヴァベル)によって結成されていますが、バンド名は、始めはSyph (梅毒)でした。しかし、名前が汚すぎると言う理由で、Ragがそれぞれの文字にピリオドを付け加えたと言う逸話があります。最初は、"Saufender Yankee Prügelt Homo" (Boozing yankee pummels fag)の略称だと言っていましたが、1986年以降は、 "Save Your Pretty Heart"の略称となっています。1979年前に、Thomas Schwebelが、独パンクパンドMittagspause (ミッタークスパウゼ)に加入する為に脱退すると、代わりに、Uli Putsch (Drs; ウリ・プッツュ)とJürgen Wolter (B; ユルゲン・ヴォルター)が加入し、1981年まではそのまま落ち着ています。その途中には、後にDie KruppsやPropagandaに入るRalf Dörper (ラルフ・デルパー)も在籍していたこともあります。
S.Y.P.H. 1st single "Viel Feind, Viel Ehr"より"Industrie-Mädchen"
それで、1979年に、デビューEP "Viel Feind, Viel Ehr (フィール・ファインド, フィール・エール)“を出し、1980年2月に、セルフ・タイトルのファースト・アルバムをリリースし、同年8月には、セカンド・アルバム"Pst"をDüsseldorfのレーベルPure Freude (プーレ・フロイデ)から出しています。
S.Y.P.H. 1st album "s/t"
ファーストは、まず、ちょっとコミカルなジャケ写が印象的で、ここら辺にもRagの自虐的ユーモアが潜んでいます。特に、A面1曲目の"Zurück Zum Beton (ツリュック・ツム・ベトン「コンクリートに立ち返れ」)"は、NDWの中でも国民的な歌と言うかNDWの原型となります。また、この曲は、Mittagspauseや独逸ノイズバンドPD(後にP16.D4となる)にもカバーされています。このアルバムでは、1〜2分の短い曲が多いのですが、B2は12分と長めの曲が入っています。しかし、まだパンクやポストパンクの範疇でしたが、明らかにUKやUSのパンクの流れからは外れていることが感じられます。
S.Y.P.H. "s/t"より"Zurück Zum Beton"
セカンド・アルバム"Pst (プスト)"では、CanのHolger Czukayが自ら共同プロデュースし、また一部演奏にも参加しています。どうも、CanのスタジオInner Space Studioを使って、ジャムセッションを延々と繰り返し、それを全部録音して、そこからロックっぽいパートを選んで作り上げたのが、本作品となっています。なので、かなりCanに近いやり方で制作されたアルバムとなっており、全体的に実験色の強い作品となっています。そして、翌年には、その残りの録音からまた選りすぐって、サード・アルバムを制作しています(またもや、セルフタイトルなので、通称は"S.Y.P.H.-3"と呼ばれています)。
S.Y.P.H. "Pst"より、"Stress"
S.Y.P.H. 2枚組singleより"Der Bauer Im Parkdeck"
1982年には、先行の2枚組シングル"Der Bauer Im Parkdeck (デァ・バウアー・イム・パルクデック)"を全曲を含む4枚目のアルバム"Harbeitslose (ハルバイトスローゼ)"をRag, Jahnkeに加えて、Thomas Oberhoff (トーマス・オバーホフ)とGilbert Hetzel (ギルベルト・ヘルツェル)と言う布陣で作製しています。因みに、この2枚組シングルの表題曲は、同名の映画のサントラなんですが、Ragのヴォーカルは殆ど酔っ払いのようです。1984年には、Rag, Jahnke, Wolter, Putschと言う黄金の布陣で、2枚組アルバム"Wieleicht (ヴィーライヒト)"を作製しますが、これはThe Beatlesの"White Album"に相当するものとして制作されています。しかし、ここら辺に来ると、演奏は結構まともになってきていますね。
S.Y.P.H. album "Wieleicht"より"Der letzte Held"
そして、1986年に、Putschが抜けて、代わりにRalf Bauerfeind (ラルフ・バウアーファインド)が加入して、アルバム"Am Rhein (アム・ライン)"を制作しています。翌年には、ライブアルバム"Stereodrom"を出し、暫く沈黙していますが、1993年に、新録アルバム"Rot Geld Blau"を出して復活します。これは、日本盤CDも「赤 金 青」として出ています。
S.Y.P.H. album "Rot Geld Blau"
2004年には、2枚組コンピレーションCD "Ungehörsam 2004"に参加し、2006年には、メンバーはRagとWolterだけになり、他はゲストを招いて、アルバム"-1"を出します。その後、2009年には、Rag, Bauerfeind, Jahnke, Wolterと言う編成で、S.Y.P.H.としてKreuzbergフェスに参加しています。その後、メンバーチェンジがありますが、2013年に、アルバム"E.X."をリリースしています。しかしながら、Ragによれば、今のところS.Y.P.H.はもう活動停止したと宣言しているようです。
S.Y.P.H. last album "E.X."
多分、セカンド〜サード・アルバムの辺りが一番脂が乗っていた時期であり、その時期には、Holger Czukayの1981年作のソロアルバム"In The Way To The Peak Of Normal"にバンド丸ごとゲスト参加しています。
Holger Czukay "In The Way To The Peak Of Normal"より、S.Y.P.H.参加曲"In The Way To The Peak Of Normal"
そのセカンド〜サード・アルバムの時期は、かなり実験色の強いアンサンブルで、かつパンキッシュな荒い音作りや独逸らしいユーモアも含んた、独特の音楽を鳴らしています。その後は、段々と曲も落ち着いた雰囲気になってきますが、それは一種の「成熟」なのでしょう。しかしながら、UK/USのパンクの流れからは逸脱しており、やはり独逸人らしい音楽を作り続けています。それには、Canからの反復と言う影響とパンク/ポストパンクの勢いとか荒さとが絶妙にミックスされていたのではないかと考えます。なので、S.Y.P.H.も、独逸ロックの歴史を繋いできた重要バンドと言えるでしよう。あと、独逸の再発専門レーベルVinyl-on-Demandから、2004年に、"Rare & Lost Into The Future"と言うレアトラックや未発表音源をコンパイルしたアルバム(1977年1月〜1986年夏に録音されたトラック)も出ており、まだまだ人気があるのだと思います。
S.Y.P.H. album "Rare & Lost Into The Future"