北海道立図書館に知恵の輪の文献を調べにいく
初版 2021/11/17 13:39
改訂 2024/05/22 15:27
北海道立図書館は江別市にある。自分は図書館マニアでもあるので、もう100回以上は行っているけれど、今回初めて個人閲覧室を使って、知恵の輪が載っている本をいくつか調べみた。自分のミュージアムにも本のコレクションルームはあるけれど、借りた本なので、モノ日記に載せる。
「戦国策」は前漢の劉向という人物がまとめた、国別の政策や逸話をまとめたもの。この書の齊の国の話に玉連環といのが出てくる。漢文はネット上の中國哲學書電子化計劃から。
《戰國策》《齊策》《齊六》《齊閔王之遇殺》
秦始皇嘗使使者遺君王后玉連環,曰:「齊多知,而解此環不?」君王后以示群臣,群臣不知解。君王后引椎椎破之,謝秦使曰:「謹以解矣。」及君王后病且卒,誡建曰:「群臣之可用者某」。建曰:「請書之。」君王后曰:「善。」取筆牘受言。君王后曰:「老婦已亡矣!」君王后死,後后勝相齊,多受秦間金玉,使賓客入秦,皆為變辭,勸王朝秦,不脩攻戰之備。
書き下し文は
新釈漢文体系47 戦国策 上 林秀一/著 明治書院(1977年) p.539
秦の昭王、嘗て使者を遣り、君王后に玉連環を遣って曰く、齊に智多けれども、而く此の環を解くや不や、と。君王后、以て就臣に示す。 私臣解くを知らず。君王后、以て群臣に示す。群臣解くを知らず。君王后、椎を引きて之を椎破し、秦の使に謝して曰く、謹んで以て解けり、と。君王后病んで且に卒せんとするに及びて、建を戒めて曰く、群臣の用ふ可き者は某なり、と。建曰く、請ふ之を書せん、と。君王后曰く、 善しと。筆牘を取つて言を受く。君王后曰く、老婦已に忘れたり、と。君王后死す。後に、后勝、齊に相たり。多く秦閒の金玉を受け、賓客をして秦に入らしむ。皆變辭を爲し、王に秦に朝せんことを勧め、攻戦の備を修めず。
通訳には玉連環のことを「玉を連ねた環(知恵の輪)」と書いてある。上の漢文は秦始皇だけど、こちらは昭王になっている。
続いてアレクサンドロス大王とゴルディオスの結び目の話。
アレクサンドロス大王東征記 上 アッリアノス/著 大牟田章/訳 岩波文庫(2001年)p.122〜123
これに加えてこの荷車には、さらに次のような話も語り伝えられていた。つまり誰であれ、この荷車の懐の結び目を解いた者こそは、アジアを支配する定めにある、というのだ。
轅を結わえた紐はミズキの樹皮でできており、その先端は元も末も結び目のうわべには見えなかった。アレクサンドロスはその結び目を解きほぐすすべを見つけだすことができず、さりとてほどけないままでこれを放置するのも、その結末が民衆のあいだに何らか不穏な動きをひき起こしはしないかと思われて不本意だったので、一説によれば彼は剣で斬りつけて結び目をばらばらにし、これで解いた、と言ったと伝えられている。 しかしアリストプロスが語るところでは、アレクサンドロスは轅を貫通して結び目を固定している留め釘の木片を引き抜いて、轅から軛をはずしたことになっている。この結び目をめぐってアレクサンドロスが、いったいどんな風にやってのけたものか、実際のところは私にも確言できない。しかしいずれにせよ彼自身も側近たちも、結び目を解くことについて託宣が求めるところは達せられたとして、荷車から立ち去ったのであった。
この結び目は知恵の輪ではなさそうだけど、画像の知恵の輪にゴルディオスの結び目という名前がついていることがある。
江戸時代の奇才・平賀源内が知恵の輪を解いた話が「蘭学事始」にでてくる。「十三 奇才平賀源内とカランス」の場面。
蘭学事始ほか 杉田玄白/著 芳賀徹・緒方富雄・楢林忠男/訳 中央公論新社(2004年) p.24
そのころ平賀源内という浪人者がいた。この男は本職は本草家だったが、生まれつき物の理をさとることがはやく、才人で、時代の気風によく合った性質の人だった。 何年のことだったか、 前に触れたカランスという商館長が江戸に来ていたときだが、ある日その宿舎に大勢の訪問客が集まって酒宴をひらいたことがあった。源内もその座につらなっていた。席上、カランスはたわむれに金入れの袋をひとつとりだして言った。
「この袋の口をためしにあけてごらんなさい。あけた人にさしあげましょう」
その袋の口は智恵の輪のしかけになっていた。一座の客はつぎつぎにまわしていろいろ工夫してみるのだが、だれもあけることができない。とうとう末座の源内の番になった。源内は袋を手にとってしばらく考えていた。そしてたちまちあけてしまったのである。一座の客はいうまでも なく、カランスもその頭の回転はやいのに感心して、すぐに袋を源内に与えた。このことがあってからはカランスと非常に親しくなり、その後もたびたび宿舎に行って、物産のことでいろいろ質問したりするようになった。
この袋にどんな知恵の輪がついていたか、よく分からないみたい。予想の絵が描いてある本があるので、そちらを。
「紅楼夢」は中国・清朝で成立した小説である。自分はとても好きな小説なので、岩波文庫の松枝茂夫/訳や平凡社ライブラリーの伊藤漱平/訳も読んでいる。全120回の序盤、第7回に主人公の賈宝玉とヒロインの林黛玉が九連環に興じる場面が出てくる。
新訳 紅楼夢 [第一冊] 曹雪芹/著 井波陵一/訳 岩波書店(2013年) p.140
そう言うと、黛玉の部屋にやって来ます。ところが黛玉は自分の部屋には居らず、宝王の部屋で一緒に九連環〔知恵の輪〕に興じているではありませんか。 周瑞のかみさんは中にはいると、笑いながら言いました。
画像の表紙になっているのが黛玉。上流階級の典雅な愉しみだった?
「昭和天皇実録」は宮内庁が編纂した天皇の伝記。昭和天皇がまだ皇太子の大正4年7月の記述。御召艦生駒に乗っていたが、天候不順で佐渡御上陸をお取り止めた時。
昭和天皇実録 第2 宮内庁/著 東京書籍(2015年)p.216〜217
八日 土曜日 昨日の朝に至り止むも、依然風波強く、御上陸予定の河原田海岸桟橋が破損する。よって、その日は佐渡島上陸をお取り止めになり、終日御召艦生駒においてお過ごしになる。鞍馬より博恭王及び出仕の来艦があり、出仕等をお相手にデッキゴルフ、知恵の輪遊び等をされる。また、午前中は鞍馬において実施の消火操練を御覧になり、午後は艦員による武装競争・負傷者運 競走・障害物競走・スプーン競走等の艦上競技及び端艇競漕等を御覧になる。 夜、島民による提灯行列、漁船による烏賊釣りの実況を御覧になる。 この夜も真野湾内に御仮泊になる。
昭和天皇も知恵の輪がお好きだったのかな。
運転手
よろしくお願いします。
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