早朝ヒストリカル(乃木坂〜麻布編)…の巻
初版 2023/12/26 18:42
改訂 2024/05/27 20:39
このところ寒い朝が続いていますが、頑張って都内チャリ通勤🚲を続けてます。
家の方から都心方面までは電車🚃ですが、途中の都内某駅で降りてそこから会社まではシェア・サイクル🚲にて…。
早朝なら歩行者も少なく道も空いており、混んだ電車にも乗らなくて済むので、寒さにも慣れてしまえば快適なモンです。
いろいろなルートがあるんですが、本日は「乃木坂~六本木コース」にて…。
某駅前にて自転車を借りて…、すいすい~と、まずは乃木坂へ。
お、そうだ、たまには乃木神社に参拝してから行こう。…ということで、朝から道草、乃木神社に。
ここは明治の軍人、乃木希典大将の屋敷があったところで、明治天皇に殉じて切腹⚔️🩸した後に軍神となった乃木サンを祀った神社です。
境内。なかなか立派な感じですね。
良く考えたらここに来るのは久々です…。学生時代以来じゃないか…?(東郷神社には時々行くんですが…)
ナムナム…、じゃなくてムニャラムニャラ…と家族の健康等を祈ります。
乃木大将。戦前の陸軍内で編纂された「谷戦史」(反長州閥の偏った視点で書かれ、史実と異なる内容が多々あると当時から指摘されていたが、戦後そのまま「機密日露戦史」として一般に発刊)を、大いに参考にしたとされる司馬遼太郎「坂の上の雲」で、軍人としてはケチョンケチョンの最低評価を付けられてすっかりそのイメージが定着しちゃっていますが、、、近年の研究ではそれは「不当評価」だと言う研究結果も発表されつつあり…。(わたしもそう思います。「坂の上の雲」を妄信してはいけません。)
神社の横には乃木大将が切腹した屋敷が当時のままに保存されています。(奥がお屋敷。左のレンガと黒い木の建物は厩屋。)
境内には、あの「水師営の会見」で有名な「ナツメの木」も生えています。
ちなみにまだオープン前の早朝なので、屋敷のエリアには入れませんでした…。
神社の境内を歩いていると自然と口から「♪庭に一本(ひともと)ナツメの木~、♬敵の大将ステッセル~、♪乃木大将と会見の~、♬ところはいずこ、水師営ィ~♬♬」と、軍歌『水師営の会見』を口ずさんでいました。
小さい頃、好戦的な祖母に子守唄代わりで刷り込まれたからです(笑)
手前の公園にも赤煉瓦の遺構が…
あとで調べたら「乃木邸のレンガ作りの藤棚の遺構」説だそうです。にしても中途半端に破壊されていて、変な保存要領ですね…。
神社の前が「乃木坂」(たぶんこの坂のことですよね?笑)
…というわけで、乃木神社の道草はおしまい。
通勤再スタート。。。のはずが、乃木神社からすぐの交差点。
たしか昔は「龍土町」という交差点じゃなかったかな? ここは。
いまは「東京ミッドタウン西」という交差点ですが、ここから西に入る麻布の龍土町、その先には現在は「新・国立現代美術館」(MOMA)がありますが、そこはかつて日本陸軍の「歩兵第3連隊」(麻布連隊)の兵舎があったところ。
麻布の歩兵第3連隊と言えば、昭和11年、青年将校に率いられて蜂起した反乱軍の約半数がここから出ています。
叛乱部隊指揮官の安藤輝三大尉、警視庁その他を襲撃した野中四郎大尉もこの歩三から出ました。(※野中四郎大尉の弟、ベランメェで有名な野中五郎海軍少佐が桜花の神雷部隊の指揮官です)
都心の斎藤実内大臣邸と鈴木貫太郎侍従長邸、荻窪の渡辺錠太郎陸軍教育総監邸を襲撃した部隊もここ、歩三からでした。
この写真↓の奥側がMOMA、左下はミッドタウン側ですが、写真の真ん中あたり。
当時はここに「龍土軒」というフランス料理屋があり乃木大将も好んで食べていたそうですが、昭和11年当時は、兵営に近いこのレストランが青年将校らの密談の場となり、ここで夜な夜な反乱の計画を練っていたと言われています。
さて突き当り。MOMA。
その左の白い小さい建物…。
これが、当時の歩兵第3連隊の兵舎の建物の一部(だと思います。保存された、と聞きましたから。)
これ
当時は「東洋随一の兵舎」と言われた近代的な兵舎。一個連隊1,500人をこの一つのビルに収容するという、他に例のない近代的な兵営でした。
私が学生時代に226の史跡を調べていたころは、まだ東大の技術研究所?か何かで、この当時の兵舎全体がソックリそのまま残っていました。(写真どこに行ったかな?)
なんだ、いまはこれしか残っていないのか…。もうちょっと残しても…
ここだけです↑笑
ちなみに、この近くの檜町、今やミッドタウンのところは、226事件当時、反乱部隊の残りの約半数を出した「歩兵第1連隊」の兵舎があったところです。首相官邸を襲撃した部隊はそこから出たのです。(あとは、いまはサカスとかTBSのある赤坂の台地の上にあった近衛歩兵第三連隊などから…)
ミッドタウンの歩一の建物ですが、私の学生時代のころは、檜町にまだそのまま当時の連隊の兵舎の建物が残っており、市ヶ谷に移る前の防衛庁が使っていました。(※現在は、その当時の正門の門柱と守衛所が市ヶ谷の防衛省の敷地内に保存されています。)
…と、予定外の横道コースに入ったので、「乃木坂~六本木コース」から星条旗新聞社🇺🇸の横の星条旗通りを抜け…
「乃木坂~西麻布~麻布十番~赤羽橋」コースに変更!
で、相変わらず路面の「ジオン軍大尉」が気になります…w
あ、しまった、サブスク定額料金の30分を超えてしまった…
朝活ヒストリカル、次回?につづく
レイレイ
2023/12/26 - 編集済み早朝に出入りできるところは良いですね。
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T. S
2023/12/26 - 編集済みそういわれてみると、神社って24時間開いてるんですかね?
閉めちゃうところもありますよね。たぶん。
ちなみに昨日の朝は先祖の墓参りしてから会社行きました。別ルートだとお墓の近くを通るもんですから、そんな感じで朝にいろんなことしてますw
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T. S
2023/12/27 - 編集済み今日は六本木〜飯倉コース。
麻布台ヒルズとソ連大使館前を抜けて、悪の巣窟 NOAビル前を通過👉
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真適当工作
2023/12/27 - 編集済み乃木大将ですか‼️良いですねえ❗
以前住んでいた家から歩いて10分くらいのところに山本五十六の生家があります。昔は山本五十六の胸像の前に池があってそこでプラモデルの潜水艦や軍艦を走らせて遊んでいました。
学校の先輩にもあたります❗(^-^ゞ
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T. S
2023/12/27 - 編集済み軍艦遊びをするにはなんて素晴らしい環境!うらやましい😄
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T. S
2023/12/27 - 編集済みそういえば、珍しい名前なので、なんで五十六さんなのか前に調べたら、お父さんが56歳の時の子供なので山本五十六なんだそうですね。
もしかして、お兄さんが五十一さんとか、五十三さんとか、五十五さんとか、みんな数字の名前だったりして…、、、そこまでは調べてないので知りません(笑)
実は一から56人いたらもっと驚きますw
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真適当工作
2023/12/27胸像があるところに生家と小さな記念館があるので観にいってみようかなあ?
今は池はなくなっていました。
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T. S
2023/12/27山本五十六さんは長岡でしたね? 長岡には20数年前に仕事で一度だけ行ったことがありますが、立ち寄った酒屋さんに掘り出し物の古いウイスキーがあって買ってきたなぁ、という記憶があります。
記念館とかいってみたかったんですが、まだペーペーだったので自由行動ができずに行けませんでした。
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真適当工作
2023/12/27ネットで見たらまだ四角い小さな池が残っていました‼️
水はありませんでしたが、ゴム動力の潜水艦や小さなプラモデルの戦艦を走らせていた☺️
今は小さな酒屋さんはほとんど廃業か倒産、破産になってしまってます。
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T. S
2023/12/27 - 編集済みその池(元?)に、真珠湾攻撃隊の全艦艇の模型を浮かべたいです。
もしその企画があったら、私も数隻を担当して作って参加したいです。
ローカル酒屋さんについては別のところで語りますw
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T. S
2023/12/29 - 編集済みそう言われてみると、近所のお宅の表札に「◯◯五十一」さんという表札があります。
(いそいちさんと読むのでしょうか?)
たぶん、この方は太郎次郎システムでのお名前ではなく(もしそうだとすると大家族の51人目の51男!)、いそろくシステムでお父さんが51歳の時のお子さんなんでしょうね。きっと。
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レLEGOの日記
2023/12/29太平洋戦争当時、アメリカ軍は日本の文化情報も収集していた。
日本人の命名規則、一郎、二郎、三郎…を知り、山本五十六の五十六が56を意味すると知ったアメリカ軍上層部には衝撃が走ったという。
と言う冗談を思い出しました😁
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T. S
2023/12/29お兄さんが上に55人もいるのか!というのは衝撃でしょうね(笑)
数字が名前になるシステムは英語圏にはないでしょう☝️
キラキラネームのはしりかもしれません。
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fanta
2023/12/31 - 編集済みMOMAの前の兵舎の一部…
さすがT.Sさんの推察力です😁👏
美術館には一度だけ行ったことあるんですが、まるで気づきませんでした💧
2.26事件の痕跡、
朝活ヒストリカルなかなかツボです~。
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T. S
2024/01/01そうなんですよ、あの小さい建物が実は歴史の生き証人なんです。
フランス料理の「龍土軒」は、西麻布に移転していまでも営業しているそうで、国内最古の仏料理🇫🇷専門店なんだそうです☝️ 行ってみたいです…。
226関係だと、最後まで立てこもった拠点の一つ、赤坂の料亭幸楽ですが、その跡地がホテルニュージャパンのところです。(いまはプレデンシャル生命のビルのところデス)
山王ホテルは私が探索した時に正に解体してましたし、だんだん史跡も失われていきますね。
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T. S
2024/05/25これこれ。30数年前に探索したとき、山王ホテルの解体中で、ちょうどこの旗竿を外してるところでした。
もらっておけば良かったなあ…。(って、どーやって持って帰るんじゃ!?)
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fanta
2024/05/27まだその頃まで残ってたんですねぇ😁
歴史の証人。。。
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T. S
2024/05/27そうなんですよ。
荻窪の渡辺錠太郎将軍宅(殺害現場の事故物件)も現存していました。
さすがにここ30年でそうした歴史的な史跡(知る人ぞ知る系)はだいぶ減りましたね。
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