アイヒェンドルフの詩のもとに

初版 2023/07/28 13:26

リヒャルト・シュトラウス/四つの最後の歌

第1曲 春

第2曲 9月

第3曲 眠りにつこうとして

以上 ヘッセの詩による

第4曲 夕映えの中で

   アイフェンドルフの詩による

ボクは歌曲をほとんど聴かない。
詩を歌うのであれば自分で読みたい。
でも、時にそうはいかない凄い演奏に合うことがある。
デートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのシューベルトの『魔王』
トーマス・ビーチャムの指揮するロイヤルフィルのもとでのデーリアスの『日没の歌』
ドビュッシーの『髪』を始め情念の籠もった印象的な数曲
そして、このリヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』
この曲の中で特に好きなのは第3曲の『眠りにつこうとして』の無理のない美しい旋律なのだが、引っ掛かるのは第4曲である。
ボクは何故、4つの中の3つまでがヘルマン・ヘッセで最後の一曲だけがヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩なのか判らなかった。


つまるところ、初めの3曲(未完の第5曲があるという話もある。)は『死』というテーマを持っている作品をヘッセの詩集から抜きだして作曲したらしい。
どうやら最初に彼の心臓を射たのは、アイヒェンドルフであったようだ。

私たちは手を繋いで
苦しさと喜びの中を歩いてきた
今や静かな土地の上に流離いをやめて憩う
まわりの谷は沈み
大気には闇が迫り
ただ二羽のひばりが夜を夢みつつ昇って行く
こっちにおいで
小鳥たちを囀らせておけばいい
眠りの時が近づくから
この孤独の世界に迷わぬように
ああ、広い 静かな平和よ!
夕映えの中に深く包まれ
私たちは流離い疲れた
これは 死 なのだろうか?

ヨタ訳だからね。大体こんなところだと思う。でも、この訳には言葉を訳してはいるがそれ以上の行間がない。詩になってないね。言語に対する魂に直結する雰囲気がない。分かっちゃいるけどこれが限界。

そこでYouTubeで探したら最近は何でもあるね。ドイツ語をテロップで下に日本語の詩にしてくれているのがあった。こっちだな。ただ全曲になっちゃうので第4曲は16分過ぎに始まる。

管弦楽はドイツロマン主義音楽から剥離した夕映えの情景を印象的に奏でる。
澄んだソプラノの声は張りがありすぎると、この曲の、触れてしまえば灰になりそうな脆さを表現できない。
ヴァイオリンの高音のヴィヴラートのような声が唇から抑えたセピア色の歌声になって滲むように広がる。
詩とシュトラウスの本当に深い内的な枯れた哀しみに到達する歌声。
ひとつ一つの言葉の重さと厳しさと美しさが調和され、詩の内容に共感する年齢が重ねられた『歌声』という楽器を操れるものだけに許される曲という気がする。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

Default