Death and the Maiden 『 死と乙女』

初版 2024/07/14 21:52

タイトルにはこだわる方ではないけれど、シューベルトはその歌曲の旋律をもとにした変奏曲を使うことがよくある。

この弦楽第14番ニ短調D.810はその典型の一つでしょう。

それにしても同じ第14番の弦楽四重奏曲としてボクがおそらく一生聴き続けるだろうベートーヴェンの嬰ハ短調との何という 個性の違いだろうか。

ハイドンからモーツアルトへモーツアルトからベートーヴェンへと繋がった感のあった弦楽四重奏という分野は、実はシューベ ルトが継承したのではなかろうかと最近思うようになった。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲特にこの番号あたりでは、最早、美しさというものから離れたところに音楽がある。

極めて個人 的で、極めて独善的で、極めて精神的で、その深い内省の世界は、形而上のものへと繋がっている。

シューベルトの音楽は直接そこへは行かない。


行けないのではなく行かないのだ。

それは、メロディという才能に愛された彼が、四つの弦楽器を歌わせ、大衆を釘付けにするために必要なものをD.804のイ短調 あたりからほぼ手にしたことに尽きるように思える。

変奏のしなやかさ、転調の無類の巧緻。

演奏者は豊かなカンタービレの中にべートーヴェンが歩いた道とまた異なる道を巡り、最 後には同じ場所へ行くのではないかと思わせる。

大衆の嗜好に寄り添いつつ、その目の隅にこの分野で登り詰めた楽聖の後ろ姿を確実にとらえていたのではないか。

そういう意味ではシューベルトもまたこの分野では比類がない孤峰ではないか。

第1楽章のアレグロが兆す第2楽章の世界。


ロマンティック!

物狂おしいばかりのそのロマンは様々な色合いと旋律に姿を変え ながら第3,第4楽章の行く道を示す。
調性なき世界に自身の内なる音楽(神の声)の儘に筆を走らせたボンの巨匠とは異なり、シュ ーベルトは4楽章で全てを歌い終える。

音楽は神のもとに帰るのではなく、聴衆のすぐ隣にあり続けながら演奏者に対してはその隠された仄暗い深淵をかいま見せる。

演奏者にとって当然の事ながら歌曲『死と乙女』の詩はこの作品には無用のものとなる。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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