ガブリエル・フォーレ  望まなかったレクイエム

初版 2024/06/15 20:26

改訂 2024/06/15 20:26

フォーレのこの作品は聴く者の様々な宗教的信条とは切り離しても、フランス近代音楽を代表する音楽でしょう。

ただ、彼の迷いと戸惑いがいくつかの完成の過程に残っていて、現在一般に聴かれている第3稿は1900年にパリの万国博覧会の際に演奏されました。
1885年に父を1887年に母を相次いで失ったフォーレは極めて私的なレクイエムを非常に小規模な楽器編成で作曲し、自身の指揮で初演しました。
その時は今の7曲ではなく、第2曲Offertoire(奉献唱)と第6曲有名なリベラ・メ=Libera Me(我をゆるしたまえ)を除いた5曲でした。
その後1887年に書き上げていた第6曲Libera Meと1889年に書かれた第2曲Offertoireを加え、現在の形と同じ7曲で演奏されることになったのですが、この第2稿でも楽器編成は少しは大きくなっていますが、現在の第3稿の一般的な規模の楽器編成ではありません。

思うに彼はこの曲が最初から極めて個人的な追悼の意図を持ったものであり、それ故にミサの後、出棺の際に歌われる聖歌であったLibera meとIn Paradisum(楽園にて)が組み入れられたのでしょう。

また、Sequenta(最後の審判の恐怖を描いた部分)を除き、神の審判のありようとは離れ、父母の穏やかで安らかな旅立ちを祈ったのではないかと思います。

それは、神道の家に生まれ、母の死に際しても、音楽の安らかな部分を気持ちに載せたいという僕個人の心情にも合致しました。


その後、作品の高い芸術性に広く発表の場を世界に見据えた出版社はオーケストレーションを一般的な大きなものに編成し直すようにフォーレに強く要請したのでした。

フォーレはどんな気持ちでそれを承諾したのでしょうね。

極めて個人的な祈りが、心ならずもその作品の芸術性故に大がかりになってゆく…

彼にとってそれは不本意だったのではないでしょうか。

そして、彼はその楽器編成を自分で行わず、弟子のポール・デュカスに任せ、その作品が現在の作品48として残ることになったのです。

このレクイエムは現在のオーケストレーションよりも、より小規模な編成で演奏される方が、フォーレの意に叶っているのでしょう。

でも、彼の気持ちにデュカスは懸命に添っていたのではないでしょうか。

決して声高にならず、うつむいたままの惻々とした哀しみと安息を願う父母の子としてのフォーレの祈りが、その明澄な旋律の中に生きています。


レクイエムをよく聴くというのは何だか変ですが、ボクはフォーレのこの曲が好きです。

その時聴くのは、CDで紹介した演奏ではなくて、古いですが、アンドレク・リュイタンスが現在のパリ管の前身と言えるパリ音楽院管弦楽団を指揮した演奏です。とこか近代的な管楽器の澄み切ってクールなパリ管の音ではない、くすんだ管楽器の音色。この頃の演奏が好きです。

ボクは決して信心深いとは言えません。でも、

リベラ・メを聴きながらふと思います。現在の悲劇を生んでいる、世界のリーダーたちは、この音楽を聴いてその中に籠る何かに赦しを乞わねばならないのではないでしょうか。

母はこの6月8日93歳で逝きました。赦しと同時に感謝を

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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