Person11-04 ジョルジュ・エネスク:完熟 CelloSonata No.2

初版 2024/05/11 15:21

エネスク/チェロ・ソナタ第2番ハ長調 Op.26



第1楽章 アレグロ モデラート エド アマービレ(愛らしく)
第2楽章 アレグロ アジタート,ノン トロッポ モッソ(躍動して)
第3楽章 アンダンティーノ カンタービレ,センツァ レンテッツァ(遅くなく)
第4楽章 ファイナル ア ラ ロマーニエ;アレグロ ショルト(自由なアレグロ)

1935年のエネスクは第2次大戦後の停滞期にあったのだろうか、並行して書いていたと思われるヴァイオリンとオーケストラのための協奏交響曲ハ長調は草稿のみに終わり、1年前に着手している交響曲第4番は未完のままである。
同時期の作品としては1933年のピアノソナタ第3番とこの第2チェロソナタくらいだ。
この頃から次第に懐古的な作風になって行くのだけれど、それはただ抒情に流れてゆくというのではなくて、ヴァイオリンソナタ第3番から10年を経て完全に安定した作風が予定調和を生んでいる。
ここには第1番に聴かれるような若いエネルギッシュな生命感はないが、滔々と流れながらも、胸底にしっかり握り込んでいる祖国の色が塗り込められている。
第1楽章のチェロの愁いのある歌は、意味を探す必要もなく音楽的で美しい。
その歌の間隙に添って凹凸を埋めてゆくピアノがまたいい。
決して協調しているのではなく、チェロの作り出す歌の周りをゆっくりと回っている。
そして、その音が止まりピチカートに誘い出されるように微妙に主客が変わる。
チェロとピアノの螺旋は次第に強まってくる心の圧力に外側に花が開くように高まってゆく。
それが実にボクには自然に感じられ、そこから不意に冒頭の主題が覗く気配に(愛らしさ)などは感じないけれど、臈長けた音楽家の渾身を聴く。
第2楽章は仄暗いダンス。
チェロにふさわしいと言うより、チェロだからできる腰の低いアタックが扇情的。
息を整えるような緩の部分。
低く形を変えた、やはり主題が覗く。
ピアノの音の間が澄んでいて美しい。

次のアンダンティーノ・カンタービレは20世紀に書かれた音楽の中でも群を抜いて気高く、美しいチェロの序奏から始まる。


ピアノは柔らかな残響の中にふうわりと浮き上がってくるチェロの歌と交替するように、イメージの水面からゆっくりと沈んでは浮かぶ。
独奏と独奏が細い糸で繋がるように穏やかに緩やかに呼吸するように閉じる。
この楽章はしかし、決して単独では聴けない類の音楽だと思う。


第4楽章は、その穏やかさの典型の音楽に続いて徐々に高まってゆく民族的情熱が熟達に極みに達している。
チェロが肉体の躍動であり、ピアノはその肉体を巡る血の管の中を趨る命のように交わることなく溶け合う。
弦が強く弾かれ、ピアノの音が指先から高く弾け上がる。
とても複雑でルーマニアの歌は別次元の成熟を遂げてゆく。

第2番は最近の音楽家の演奏迄いろいろ出てきたようだ。


アナスタシア・フェルレワのチェロでライブ演奏があった。オランダのチェリストだけど、聴いてみたら割といい。ストラヴィンスキーで聴いたことがあるけれど、あまり聴く機会はない。第4楽章の共感は同郷のチェリストの演奏に比べると、整理されていてスマート。ここだけはグローバルに弾くんではなくてルーマニア血のざわめきみたいなローカリティが欲しい。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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