三善 晃(みよし あきら)の Sonata
初版 2024/03/11 16:53
三善 晃(1933年1月10日 - 2013年10月4日)
ピアノ・ソナタ(1958)
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 プレスト
歴史に埋もれてゆくにはそれなりの理由があるわけで、その辺は弱点だらけの作品も多いのは確か。
それでも、耳を傾ける数瞬に鷲掴みにされるような作品も隠れていることもまた確かなのです。
例えば、最近まで現役であったこの作曲家のように美しく、感性の中に確固たる様式美を持ち得ている稀な日本人がいました。
ただ、残念なことにボクは、彼のほとんどの作品の重点を占める合唱曲の分野については、この年になっても手が広げられないでいます。だから耳慣れているピアノから入るのですが。
競ったりはしていなかったと思うのですが、同時代に生きていた三善晃と矢代秋雄はボクにとって今も印象に残り続けている作曲家です。中でも三善晃の1958年、作曲者が25歳の時のこの作品とそれから3年後に仕上げられた矢代秋雄のピアノソナタを聴き比べると音楽を目指す方向と嗜好、アプローチの違いを今さらながら思い知ります。
そして、無調に近づきながらピアノのソノリティを知悉して鍵盤楽器の洗練を音楽に最大限に取り入れている三善晃氏のこの作品はボクにとってはとても純粋な耳の楽しみであり続けています。ピアノという鍵盤楽器の持つ粗雑物のないマルカートな1音がもつリリシズム。
楽想そのものの中に既に楽章を透徹する古典的な様式美がある。
蒸留に蒸留し続けて手に入れた結晶のような矢代の作品とは違い、もっと自由である。
旋律を楽しむのではなく、再現者の技量にきわめてシビアな期待を抱きつつ、ピアノという楽器の生み出すソノリティ自体にこの作品の成功が委ねられている。
記憶に残るのは田原登美子女史の演奏。今でもこれが聴けるのはありがたい。
1964年6月に突然この世を去った田原富子のピアノの音の純度の高さは朝比奈隆とのモーツァルトにも感じることができるけれど、武満徹や矢代秋雄らのいわゆる日本の現代ピアノ音楽の中で非常に純度の高い演奏を残した。
ピアノでしか表現出来ない音楽である。
握りしめて鉄の壁に力の限り叩きつけても、常に同等の力で反発する。
濁りのない情熱と冷徹が生む抒情。
こういう音楽は飽きない。
約20分弱。
この曲は是非通して聴いて欲しい。
そして、決して理屈っぽい音楽ではないと信じて欲しい。
旋律線を追わないで純粋にピアノの音が持つ純度から感じる息遣いを追って欲しい。
選ばれ配された音の1音1音がもつフレキシブルなロマンティシズムを感じて欲しい。
彼のピアノソナタは非売品の演奏が多くて、ひょっとしたら作曲者はこの作品が世に出るのを嫌っているのかも知れないねえ。
Mineosaurus
古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。
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