最終回 特別版 矢沢洋一と言う男
初版 2022/09/26 19:34
改訂 2023/04/07 20:53
皆さんは「矢沢洋一」と言う男を知っているだろうか。
やざわよういち?誰それ?「矢沢永吉」の間違いじゃないの。聞いたこともないよ。知らない。そんな意見が多いだろう。
この矢沢洋一と言う男。1975年くらいから1983年くらいまで活動していたナレーターである。古い声優プロダクションのマネージャーや演者は知らない人はいないと思う。その矢沢洋一が肺腺がんを患い亡くなったと風のうわさで聞いた。
私は94年から98年ぐらいまで縁がありお世話になっていた。
現在見ることができる作品は結構ある。たとえばこれ。このナレーションは矢沢洋一である。
またこれもそうだ。一時は東武東上線の駅の案内ナレーションも彼だった。
ちょっと聞き取りにくいがこれも彼の声である。
こんなCMも彼である。
また、丸善石油のCMでは今ではどのガソリンスタンドでも普通に行われている給油時の窓拭きをはじめたキャンペーンのCMナレーションも担当していた。
つまり、今どこのスタンドでも行っている車の窓拭きは丸善石油が始めたものなのだ。
その他CMなどはナショナル、出光、第一製薬、トヨタ、日産、ホンダ、ダイハツ諸々わかっているだけでも数百本のCM、インナーもののビデオ、スライド、博物館、資料館の解説ナレーションなど数多くの作品に携わっていた。
当時稼ぎ出した金額は年間8000万~1億と本人から聞いたことがある。ではそんな売れっ子ナレーターがなぜ突然辞めてしまったのか。
実は当初彼は映画監督を目指していたのだ。映画を愛する男でとにかく映画の話がはじまると止まらなくなり、行きつけの飲み屋さんで2時間でも3時間でも話していることがあった。
映画を作ると言うのは予算などのもろもろ難しいことがあったので、池袋に映像を作る会社を立ち上げた。そこでナレーション塾もやっていた。最初の頃は1回ほぼ2時間程度で1000円だった。その後にナレーション塾を本格的に運営しはじめた。製作がかなり厳しくなってしまい会社の運営資金にしていたようだ。
実はこのmannenという名前は彼が付けてくれた芸名である。
その後移転を繰り返し、後半は外国人にも日本語を教えていたようだ。
ナレーターとしての活動期間は短かったもののその活動は一時代をしっかり築きあげていた。
そんな方が人知れず亡くなっていたのを偲んで、ここに簡単ではありましたがご紹介をさせていただきました。
合掌
mannen
過去のコレクションを公開してみました。ブンダーカマーに近いかなぁ(笑)
某チョコは2015年ぐらいでやめました。40年以上集めていましたが・・・。
デザインの適当さと商品の売りかたの適当さで嫌気が差しました。
切手も40年以上あつめています。まぁ、抜けてた時代も結構ありますが
まだ続けています。切手も最近のものはあまりよくないです。
日本のTVCMも集めています。こちらはダイアリーが主体になると思います。
すべての展示品のレア度はすべて1です。
わたしは手に入れているのと、感じ方は人それぞれなので(笑)
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